ロバート・マクルアーの北西航路横断
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「北西航路」の記事における「ロバート・マクルアーの北西航路横断」の解説
詳細は「ロバート・マクルアー」を参照 行方不明になったフランクリン隊を探す捜索隊のうち、イギリス海軍のロバート・マクルアー率いる捜索隊は、1850年から1854年にかけて西から東へ北西航路を横断した。これは船だけでなく、部分的にそりを使った通過だった。 マクルアーらの捜索隊はHMSインヴェスティゲーター号で1849年の12月にイギリスを出港し、ホーン岬を回って太平洋へ出、ベーリング海峡を通過して北極海へと入った。北極諸島の西端のバンクス島に達し、東へと続く海峡(マクルアー海峡)を発見したものの、バンクス島の先のバイカウントメルビル海峡西端付近で船が氷に閉じ込められ、3年間この海域で越冬するはめになった。 寒さと飢餓に苦しむマクルアーと部下たちは、脱出の準備をしていたところをイギリス海軍のエドワード・ベルチャー卿(Edward Belcher)の隊員たちに発見された。ベルチャーも同じくフランクリン隊の捜索のために4隻の艦隊で大西洋側から北西航路へと向かったが、バイカウントメルビル海峡で氷に閉じ込められ船のいくつかを放棄し、氷上をそりで移動していたところだった。マクルアーたちはベルチャー隊とともにベルチャーの船へ移り、北西航路を東へ引き返すこの船に乗って1854年にイギリスへ戻った。マクルアー隊はこうして、初めて南北アメリカ大陸を一周して帰ってきた探検隊となった。また一部そりを使ったものの、北西航路を西から東へ初めて通過した探検隊ともなった。彼らの帰還はイギリス中から歓迎され、マクルアーは爵位を与えられ海軍大佐に昇進し、全員でイギリス議会からの1万ポンドの賞金を分け合った。
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