ロバートマクルアーの北西航路横断とは? わかりやすく解説

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ロバート・マクルアーの北西航路横断

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 00:04 UTC 版)

北西航路」の記事における「ロバート・マクルアーの北西航路横断」の解説

詳細は「ロバート・マクルアー」を参照 行方不明になったフランクリン隊を探す捜索隊のうち、イギリス海軍ロバート・マクルアー率い捜索隊は、1850年から1854年にかけて西から東へ北西航路横断した。これは船だけでなく、部分的にそりを使った通過だった。 マクルアーらの捜索隊HMSインヴェスティゲーター号で1849年12月イギリス出港しホーン岬回って太平洋へ出、ベーリング海峡通過して北極海へと入った北極諸島西端バンクス島達し東へと続く海峡マクルアー海峡)を発見したものの、バンクス島先のバイカウントメルビル海峡西端付近で船が氷に閉じ込められ3年間この海域越冬するはめになった寒さ飢餓苦しむマクルアーと部下たちは、脱出準備をしていたところをイギリス海軍エドワード・ベルチャー卿(Edward Belcher)の隊員たちに発見された。ベルチャーも同じくフランクリン隊の捜索のために4隻の艦隊大西洋側から北西航路へと向かったが、バイカウントメルビル海峡で氷に閉じ込められ船のいくつか放棄し氷上をそりで移動していたところだった。マクルアーたちはベルチャー隊とともにベルチャーの船へ移り北西航路東へ引き返すこの船に乗って1854年イギリスへ戻った。マクルアー隊はこうして初め南北アメリカ大陸一周して帰ってきた探検隊となった。また一部そりを使ったものの、北西航路西から東へ初め通過した探検隊ともなった。彼らの帰還イギリス中から歓迎され、マクルアーは爵位与えられ海軍大佐昇進し全員イギリス議会からの1万ポンド賞金分け合った

※この「ロバート・マクルアーの北西航路横断」の解説は、「北西航路」の解説の一部です。
「ロバート・マクルアーの北西航路横断」を含む「北西航路」の記事については、「北西航路」の概要を参照ください。

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