ロシアでの上演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 17:49 UTC 版)
『ジゼル』 は翌1842年に早くもロシアのサンクトペテルブルクで上演された。初演時にカルロッタ・グリジの振付を担当したペローは1848年から10年間、メートル・ド・バレエとしてロシア帝室バレエに君臨し、この作品に磨きをかけた。ペローの改訂により、ジゼルが狂乱する場面がより明確になり、また第2幕の主役2人によるパ・ド・ドゥ部分が変更された。 その後マリウス・プティパは1884年から数回にわたって大規模な改訂を行った。有名な第1幕の「ジゼルのヴァリエーション」はプティパの手になるもので、この曲はレオン・ミンクスが新たに作曲した可能性が高いと考えられている。そのほか大きく変更されたのは第2幕で、ウィリたちによる踊りのスタイルが統一された上、群舞が重層的に展開するものへと作り直された。 1868年に本国フランスでの上演が途絶えてロシアで生き残った 『ジゼル』 は、プティパの死後はほとんど変更されることなく今日まで伝えられている。現在最も多く上演される『ジゼル』 はプティパ版およびそれに基づいた振付である。
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