レット・ミー・ビー・ゼアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > レット・ミー・ビー・ゼアの意味・解説 

レット・ミー・ビー・ゼア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 08:08 UTC 版)

レット・ミー・ビー・ゼア
Let Me Be There
オリビア・ニュートン=ジョンシングル
初出アルバム『レット・ミー・ビー・ゼア
B面 Maybe Then I'll Think of You(日本以外)
イフ・ノット・フォー・ユー (If Not for You)(日本盤)[1]
リリース
規格 7
ジャンル カントリー
ポップ
時間
レーベル フェスティバル・レコード英語版
作詞・作曲 ジョン・ロスティル
プロデュース ブルース・ウェルチ
ジョン・ファーラー
ゴールドディスク
ゴールド(US:RIAA[2]
チャート最高順位
オリビア・ニュートン=ジョン シングル 年表
カントリー・ロード (故郷へ帰りたい)
(1973年)
レット・ミー・ビー・ゼア
(1973年)
青空の天使
(1974年)
テンプレートを表示

レット・ミー・ビー・ゼア」(Let Me Be There)は、オリビア・ニュートン=ジョンの楽曲。同名のアルバムに収録された。

解説

このカントリーの影響を受けた楽曲は、彼女にとってアメリカ合衆国における最初にトップ10入りしたヒット・シングルで、ポップ・チャートで最高6位に達し、1974年の第16回グラミー賞において、彼女に最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞英語版をもたらした[3]。この曲では、マイク・サムズ英語版低音(バス)ハーモニーを歌っている[4]

この曲は、イギリス生まれ、オーストラリア育ちのオリビア・ニュートン=ジョンが、カントリー・ポップ歌手として[5]一躍人気歌手となった出世作である[6]

チャート

チャート(1973年 - 1974年) 最高位
Australia (ケント・ミュージック・レポート) 11
Canadian RPM Top Singles 2
Canadian RPM Adult Contemporary Tracks 3
Canadian RPM Country Tracks 11
U.S. Billboard Hot 100 6
U.S. Billboard Hot Adult Contemporary Tracks 3
U.S. Billboard Hot Country Singles 7

主なカバー

レット・ミー・ビー・ゼア」は、1977年に死去するまでエルヴィス・プレスリーが数多くのコンサートで歌い、ライブ録音も残されている。おそらく最も特筆されるエルヴィスによるカバーは、1974年3月20日テネシー州メンフィスで行なわれたコンサートのライブ録音であろう。このコンサートの大部分は、1974年7月7日にライブ・アルバム『ライヴ・イン・メンフィス (Elvis Recorded Live on Stage in Memphis)』としてリリースされた。このときの「レット・ミー・ビー・ゼア」の音源は、1977年7月19日にリリースされた、エルヴィスの生前最後のアルバム『ムーディ・ブルー』の5曲目にも収録された。

タニヤ・タッカー英語版は、ゴールドディスクに輝いた1974年のアルバム『Would You Lay with Me (In a Field of Stone)』でこの曲を取り上げており、その音源は、後のベスト盤などにもしばしば収録されている。

脚注

  1. ^ シングルのリリース順は、米国におけるものを標準としている。日本では、1973年にはシングルでは発売されず、米国などでB面に収められていた「君ひとすじに (Maybe Then I'll Think Of You)」をA面、「メリー・スキフィントン (Mary Skeffington)」をB面に日本独自のシングル盤がリリースされた。「君ひとすじに」は1973年の第2回東京音楽祭参加曲であった。日本では「レット・ミー・ビー・ゼア」は翌年シングル化され、B面にはボブ・ディランジョージ・ハリスンに提供した「イフ・ノット・フォー・ユー英語版」が収録された。なお、米国で前作シングルにあたる「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」も、1973年の段階ではシングル化されていない。
  2. ^ "American single certifications – Olivia Newton-John – Let Me Be There". Recording Industry Association of America. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  3. ^ Winners 1973 - 16th Annual GRAMMY Awards”. grammy.com. 2015年11月21日閲覧。
  4. ^ Morse, Ann; Keely, John (1976年3月1日). Olivia Newton-John. Creative Education 
  5. ^ Olivia Newton-John biography”. Billboard. 2015年11月21日閲覧。 “Olivia Newton-John skillfully made the transition from popular country-pop singer to popular mainstream soft rock singer, becoming one of the most successful vocalists of the '70s in the process. … Although she was born in Cambridge, England, Newton-John was raised in Melbourne, Australia, ...”
  6. ^ 20世紀西洋人名事典『オリビア ニュートン・ジョン』 - コトバンク

外部リンク

先代
"The Happiest Girl In the Whole USA"
(Donna Fargo, 1973)
グラミー賞
最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞

1974年
次代
"Love Song"
アン・マレー、1975年)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レット・ミー・ビー・ゼア」の関連用語

レット・ミー・ビー・ゼアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レット・ミー・ビー・ゼアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレット・ミー・ビー・ゼア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS