レアル・マドリード時代とその後
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「ハビエル・サビオラ」の記事における「レアル・マドリード時代とその後」の解説
同年7月、バルセロナの最大のライバルであるレアル・マドリードへ移籍した。これは長年の敵対関係にある両クラブ間を渡り歩く「禁断の移籍」であり、彼の境遇からルイス・フィーゴの移籍時のようにサポーターの怒りを買うような「裏切り行為」と非難されることはなかったが、バルセロニスタの間からは戸惑いの声が聞かれた[要出典]。 レアル・マドリードの一員として迎えた2007-08シーズン、チームはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たすものの、チームの主将であり同じポジションを争うラウル・ゴンサレスがかつてのような得点力を取り戻し、また自身の負傷もあって試合出場の機会は殆どなく、続く2008-09シーズンもラウルやルート・ファン・ニステルローイの控えに甘んじ、またラファエル・ファン・デル・ファールトやクラース・ヤン・フンテラールの加入、ゴンサロ・イグアインの台頭もあってなかなか出場機会が得られなかった。本人も不満を爆発させ、冬の移籍市場ではポーツマスFCやPSVアイントホーフェンなどへの移籍が噂されたが、結局合意には至らなかった。 2009年6月26日、移籍金500万ユーロの3年契約でリーガ・サグレスのSLベンフィカに移籍。ベンフィカでは親友であるパブロ・アイマールとのコンビで完全復活を遂げている。2009-10シーズン、ベンフィカのリーグ優勝とタッサ・ダ・リーガ(ポルトガル・カップ)優勝の2冠に貢献し、ポルトガル・リーグ年間最優秀選手に選ばれた。 2012年8月30日、マラガCFへ完全移籍。 2014年9月1日、エラス・ヴェローナFCへ移籍。
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