ルフィーノ・タマヨとは? わかりやすく解説

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タマヨ【Rufino Tamayo】

読み方:たまよ

[1899〜1991メキシコ画家インディオ芸術基礎欧州前衛様式取り入れ、独自の象徴的世界描いた

タマヨの画像 タマヨの画像
鳥かごを持つ女(1941)/シカゴ美術館撮影・Octavio Ruiz Cervera [CC BY-SA 2.0] https://goo.gl/RD2Zn3
タマヨの画像

ルフィーノ・タマヨ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 02:36 UTC 版)

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はアレジャネス第二姓(母方の)はタマヨです。
ルフィーノ・タマヨ(1945年)

ルフィーノ・デル・カルメン・アレジャネス・タマヨ(Rufino del Carmen Arellanes Tamayo 、1899年8月26日 - 1991年6月24日)は、メキシコの画家。

生涯

オアハカ州オアハカ・デ・フアレスの、メキシコ先住民サポテク系の家に生まれる。1911年メキシコシティの伯母のところで育つ。1917年、国立造形芸術学校(Escuela Nacional de Artes Plasticas)に入学する。そこで、印象主義キュービズムそしてフォービズムの画法を学ぶ。

メキシコ革命の時、ルフィーノ・タマヨは、政治運動より遠ざかり、自分の創作活動にいそしむ。そして、ディエゴ・リベラらと異なり、美術においてメキシコの伝統を重んじる。メキシコ・シティでの個展を実現し、広い人から注目された直後の1926年ニューヨークへ行く。1929年、メキシコに戻り、そこで新聞や雑誌から高い評価を受ける。タマヨは、ミクソグラフィア(mixografía)と呼ばれる形式の版画にも取り組む。1937年より1949年まで、ニューヨークに暮らし、創作活動を展開して個展を開き、アメリカにおいても知名度を上げる。1949年にルフィーノ・タマヨは、パリに渡り、そこで10年間暮らす。1959年にメキシコに戻り、残りの人生を過ごすこととなる。1979年、故郷オアハカで、「ルフィーノ・タマヨ美術館」(Museo Rufino Tamayo)が設立される。

1991年6月24日死亡する。

作風とその評価

メキシコの伝統文化と、ヨーロッパ美術のフォービズムなどとの融合とされている。写実的な絵画ではない。

その一方で、彼の美術を評価する人も少なくない。2007年11月20日に、「三人の人物」(Tres Personajes)が、104万9,000ドルで落札されている[1][2]

日本における「ルフィーノ・タマヨ」

日本のメディアでは、1993年11月14日に、NHKの番組『日曜美術館』で、「ルフィーノ・タマヨ~メキシコの魂を謳う~」が実現されている[3]

また、名古屋市美術館に、「夜の踊り子たち」、「苦悶する人」他数点が、コレクションとして収められている。東京国立近代美術館にも、「縞模様の人物」が所蔵されている。

代表作

  • 三人の人物 Tres Personajes
  • 男と女 Man and Woamn (1972年作)
  • パイプを吸う人 Hombre con Pipa (1979年)
  • 棒を持つ人 Hombre con Baston (1980年作)
  • 二人の兄弟 Dos Hermanos (1987年作)
  • 赤い人物 Figura en Rojo (1989年作) 

日本の美術館所蔵作品

  • 黒人の仮面 (1939年作:名古屋市美術館所蔵)
  • 夜の踊り子たち (1948年作:名古屋市美術館所蔵)
  • 苦悶する人 (1948年作:名古屋市美術館所蔵)
  • 縞模様の人物 (1975年作:東京国立近代美術館)

脚注

外部リンク

インターネットサイト

作品



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