ルイジアナ準州
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ルイジアナ準州(Louisiana Territory)は、1805年7月4日から1812年12月11日まで存在したアメリカ合衆国の歴史的な編入領地。後にルイジアナ州となったオーリンズ準州に区分されなかったルイジアナ買収地の部分から成った。ルイジアナ準州は、ルイジアナ買収地の北緯33度(現在のアーカンソー州の南の境界)以北の全域で、準州の首都はセントルイスに置かれた。準州の定義から離れて、「ルイジアナ・テリトリー」という言葉自体には、フランス領やスペイン領時代の、またはルイジアナ買収後の土地すべてを指す、「ルイジアナの領地」という意味で使用されることもある。
メリウェザー・ルイス (1807年-1809年)とウィリアム・クラーク (1813年-1820年)の両者は、どちらもルイジアナ準州の知事を務めた 。
ルイジアナ準州には、セントルイス地区、セントチャールズ地区、セントジュヌビエーブ地区、ケープジラード地区、ニューマドリード地区の5つの地区があった。1806年、 準州立法府はインディアンのオサゲ・ネーションより割譲された土地にアーカンソー地区を創設した。
1812年10月1日、クラーク知事は5つの行政地区を郡に編入し、後にミズーリ準州の最初の5郡となった。1818年、もともとのセントルイス郡からフランクリン郡とジェファーソン郡が創設され、セントルイス郡は現在のセントルイス郡およびセントルイスとなった。
新しく出来たルイジアナ州との混同を避けるために、ルイジアナ準州は1812年にミズーリ準州と改名された。
関連項目
ルイジアナ準州
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詳細は「ルイジアナ買収」を参照 1800年、スペインはこの領土をフランスに戻す交渉を行った。フランスの支配者ナポレオン・ボナパルトはこの領土を拡大するアメリカ合衆国から守るのはできないと判断した。ナポレオンはトーマス・ジェファーソン大統領のアメリカ合衆国に対し、ルイジアナ買収の一部として1803年に1,500万ドルでこの地域を売却した。 1804年にはルイス・クラーク探検隊が地域の地図作りのために出発した。1805年、セントルイスを州都とするルイジアナ準州が設立された。 1811年、蒸気船ニューオーリンズ号によって、ミシシッピ・オハイオ水系のピッツバーグからニューオーリンズまで運航が開始された。同じ年の12月16日、ニューマドリッド地震と呼ばれる一連の地震が始まり、アメリカ合衆国の歴史の中でも最大規模のものとなった。その揺れは遠くフィラデルフィアでも観測された。
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