りょ‐こう【呂后】
読み方:りょこう
[?〜前180]中国、前漢の高祖劉邦(りゅうほう)の后。姓は呂、名は雉(ち)。字(あざな)は娥姁(がく)。高祖の子恵帝の死後、政権を掌握し、自分の一族を諸侯に封じたため、死後、呂氏の乱を招いた。
りょ‐こう〔‐カウ〕【旅行】
りょ‐こう〔‐カウ〕【×閭×巷】
呂公
リョコウ | (?~?) | |
初平二年(一九一)、袁術の命を受けた孫堅が荊州に入って劉表を攻撃したとき、劉表は襄陽城に楯籠り、将軍黄祖を夜陰に乗じて城外に出した。黄祖は城外で兵を集めて城に帰ろうとしたが、孫堅の待ち伏せに遭って峴山に敗走した。孫堅がただ一騎で峴山に入って黄祖を追跡したが、呂公は山陰に伏せていて、石を落として孫堅の頭を割った《破虜伝》。 |
呂曠
- リョコウのページへのリンク