呂翔とは? わかりやすく解説

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呂翔Lu Xiang

リョショウ
リヨシヤウ

(?~?)
列侯

袁尚の将。東平国の人《武帝紀》。「高翔」ともある《後漢書袁紹伝》。

建安八年二〇三)十月曹操黄河渡って黎陽入った聞き袁尚袁譚対す包囲解いて平原から鄴に引き揚げた。呂翔・呂曠袁尚から離叛して陽平軍勢集め曹操帰服して列侯に封ぜられた。袁譚将軍印綬密造して呂翔らに贈り、彼らを味方引き入れようとした《武帝紀・袁紹伝》。

参照袁尚 / 袁譚 / 曹操 / 呂曠 / 鄴県 / 黄河 / 東平国 / 平原郡 / 陽平県 / 黎陽県 / 印綬


呂翔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 17:45 UTC 版)

呂 翔(りょ しょう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。兗州東平郡の人。『後漢書袁紹伝での名は「高翔」(後の蜀漢に同姓同名の武将がいるが、さすがに別人であろう)となっている。

正史の事跡

姓名 呂翔
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
本貫・出身地等 兗州東平郡
職官 大将
爵位・号等 列侯
陣営・所属等 袁尚曹操
家族・一族 〔不詳〕

袁紹の三男袁尚配下の大将で、同族とされる呂曠も同僚である。建安8年(203年)8月、袁尚に従って、袁尚の兄・袁譚を平原に包囲する。追い詰められた袁譚は曹操に降伏し、同年10月に曹操は袁譚の救援に向かったため、袁尚は平原の包囲を解いた。ところが、呂曠と呂翔は袁尚に反逆して陽平に駐屯し、まもなく曹操に降伏して列侯に封じられた。その後、袁譚は、呂曠と呂翔に将軍の印綬を授けて懐柔しようとしたが、2人ともそれには全く乗らなかった。以後、2人とも史書には登場しない。

物語中の呂翔

小説『三国志演義』では呂曠の弟とされている。袁譚の説得を受けた後に兄弟で曹操に降った。列侯に封じられた件、袁譚からの将軍の印綬の件は、史実と同様である。その後、兄・呂曠と共に曹仁配下に属し、曹仁に懇願して5千の兵で新野の劉備を襲うが、敗戦して張飛に矛の一撃で仕留められる。

参考文献



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