リヒテナウ要塞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/10 14:26 UTC 版)
「リヒテナウ (ミッテルフランケン)」の記事における「リヒテナウ要塞」の解説
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯の領土の内部に位置するニュルンベルク市の戦略上の前線であったことが、リヒテナウに戦いの歴史をもたらした。 リヒテナウ要塞は、中世の水城に由来する。第二次辺境伯戦争の時代、1553年にこの城は破壊された。ニュルンベルク市はここに全く新しい防衛施設(とはいえ、その設計は建築家アントニオ・ファッツーニの古いものによっている)を建設した。この建設は1600年頃にまで及んだ。リヒテナウ要塞はルネサンス建築の傑作であるが、軍事施設としてはやがて時代遅れなものとなって行き、攻城砲による攻撃に対抗できるものではなくなっていった。現在この要塞は、バイエルン州によってニュルンベルク州立文書館の分館として利用されている。要塞の中庭と城壁の回廊は、日中であれば見学可能である。 毎年7月に郷土愛好会がブルクフェスト(城塞祭り)を開催している。この祭りの期間の2日間、この城塞は市民に公開される。
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