リスボンでのコロンブス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 19:53 UTC 版)
「クリストファー・コロンブス」の記事における「リスボンでのコロンブス」の解説
彼はジェノヴァ人共同体の助けを借りてリスボンへ移った。この時期は1477年春以降と考えられる。そこには、地図製作に従事する弟のバルトロメが住んでおり、コロンブスは弟と一緒に地図作成や売買をしながら、たびたび航海にも加わっていた。1477年2月には、イギリスのブリストルを経てアイルランドのゴールウェイ、そしてアイスランドまで向かった。アイスランドには、かつてヴァイキングが北アメリカに植民地を築いたという「ヴィンランド伝説」があったが、コロンブスがこの伝承を耳にしたかどうかは分かっていない。 1479年末、コロンブスはフェリパ・ペレストレリョ(ペレストレーロ)・エ・モイス(またはフェリパ・モニス・ペレストレロ)と結婚した。ロス・サントス修道院のミサで彼女を見初めたのがなれそめという。しかし、フェリパの父はマデイラ諸島にあるポルト・サント島の世襲領主バルトロメウ・ペレストレリョ(ペレストレーロ)であり、いわば貴族階級の女性であった。この釣り合わない結婚の背景には、フェリパが25歳という、当時としては晩婚と言える年齢であったこと、父バルトロメウは20年前に死去し、以後のペレストレリョ家は没落しており持参金を準備できなかったこと、逆にコロンブスは航海士・地図製作者として一定の成功を収めていたことなどがあったと推察されている。
※この「リスボンでのコロンブス」の解説は、「クリストファー・コロンブス」の解説の一部です。
「リスボンでのコロンブス」を含む「クリストファー・コロンブス」の記事については、「クリストファー・コロンブス」の概要を参照ください。
- リスボンでのコロンブスのページへのリンク