ラ・ジャメ・コンタント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 15:00 UTC 版)
「カミーユ・ジェナッツィ」の記事における「ラ・ジャメ・コンタント」の解説
対決に勝利したジェナッツィはベルギーに帰ったが、シャセルー=ロバは1899年3月4日に単独で記録更新に挑み、成功する。新記録は時速92.7㎞に達しており、これを上回るには、時速100㎞を出せる車両が必要となる。 ジェナッツィは弾丸形状をしたボディの電気自動車「ラ・ジャメ・コンタント(La Jamais Contente)」(「決して満足しない」の意)を完成させ、4月1日に記録の奪還に挑んだ。しかし、この日の挑戦は計時ミスにより、不首尾に終わる。 4月29日に再挑戦が行われ、ここでジェナッツィは時速105.88kmの新記録を樹立し、自動車としては初めて時速100㎞の壁を突破した。シャセルー=ロバもこれを賞賛し、二人の対決は幕を閉じた。 この記録は3年後に蒸気自動車によって更新され、ジェナッツィとラ・ジャメ・コンタントの記録を最後に、電気自動車が地上最高速度記録(絶対記録)を更新することはなくなった。
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