アシェール (イヴリーヌ県)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アシェール (イヴリーヌ県)の意味・解説 

アシェール (イヴリーヌ県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/14 08:32 UTC 版)

Achères

行政
フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) サン=ジェルマン=アン=レー郡
小郡 (canton) サン=ジェルマン=アン=レー=ノール小郡
INSEEコード 78005
郵便番号 78260
市長任期 アラン・ウトルマン
2008年-2014年
人口動態
人口 19 626人
2010年
人口密度 2 079人/km2
住民の呼称 Achérois
地理
座標 北緯48度54分11秒 東経2度04分10秒 / 北緯48.903056度 東経2.069444度 / 48.903056; 2.069444座標: 北緯48度54分11秒 東経2度04分10秒 / 北緯48.903056度 東経2.069444度 / 48.903056; 2.069444
標高 最低:18 m
最高:32 m
面積 9.44km2
Achères
公式サイト site officiel
テンプレートを表示

アシェール (Achères)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューン

地理

まちは県の北東部にあり、ヴァル=ドワーズ県と接している。サン=ジェルマン=アン=レーの北西6km、ポワシーの北東4kmのところにある。

セーヌ川左岸の湾曲部にある水辺のまちであり、オワーズ川との合流地点に面する。サン=ジェルマン=アン=レーの森の北部に沿っている。コミューンの領域はわずかに角状の、セーヌ川に沿って伸びる湾曲部を共有しており、この湾曲部は人口が集中する西側に行くほど膨らむ。しかし人口の集中が川沿いにあるわけではなく、右岸にコミューン領域のあるいくつかの主要コミューンは縁飾りのように存在する。縁飾りはかつて川に浮かぶ島であったところであり、現在こういった島は左岸と一体化している。

由来

Achèresは古いフランス語のaschierに由来する。語源はラテン語のapiariumで、「養蜂を行うこと」を意味する[1]。まちは10世紀の古い文書にVillam Apiarias(「養蜂のまち」)と記された。その後Acheriis、Aschere、Aschieresとつづりが変化した。Achèresのつづりは1617年に初めて記された[2]

交通

  • 道路 - 北のコンフラン=サントノリーヌへ向かう国道184号線、南のサン=ジェルマン=アン=レーへ向かう県道30号線がまちを通る幹線道路である。
  • 鉄道 - アシェール=ヴィル駅はRER A線トランジリアンL線が通る。
  • 水上交通 - セーヌ川とオワーズ川の合流地点に近いという戦略的位置を生かして、2020年にアシェール港が開港する予定である。すなわちヨーロッパの水上交通の交差点となって、イヴリーヌはグラン・パリ大都市圏の重要な経済軸となる[3]

歴史

アシェールの地には先史時代から人が定住していた。ガロ=ローマ時代の定住跡もある。ルイ聖王はアシェールの領域で誕生したので、現在もアシェールはグランジュ・サン=ルイ(Grange Saint-Louis、聖王ルイの穀物蔵)として知られている。

中世、アシェールの領域は2つの荘園に分かれていた。アシェール、そしてガレンヌと呼ばれた2つの領地は1525年に統合された。1553年、モルレ・デュ・ミュゾー家がこれら荘園を所有するようになった。これは1720年代にジャン・ド・マソルの領地となった。1736年、アシェールの高級・中級・初級裁判所が王領と、サン=ジェルマンの憲兵隊に統合された。1749年、アシェールの荘園はジャン・バティスト・ダルヌーヴィル(fr)に売却された。村はその後1751年に王領となった。

1847年から1855年にかけて、アシェールの農民たちはセーヌ川氾濫に備えて堤防を築いた。この堤防は6kmの長さがあり当時としては大きく、その後コンフランの橋とポワシー間まで伸びた。1882年、鉄道の操車場がサン=ジェルマン=アン=レーの森の端のコルニエという場所に設置された。この動きが恒久的にまちと鉄道を結びつけることになった。現在、この操車場は閉鎖されている。1889年、農地が買収されたあとに、パリの下水を集める浄水場が設置された。

19世紀末、カミーユ・ジェナツィが乗った電気自動車、ラ・ジャメ・コンタント号(fr)がアシェールにて自動車で初めて毎時100kmの速度を記録した。この記録は具体的には毎時105,882 kmであった。ラ・ジャメ・コンタント号の名は教会裏の広場の名として残っている。

1940年、サンタヴァル下水処理場fr、運営管理は行政的公施設法人のパリ都市圏清掃自治体間連合)がサン=ジェルマンとアシェールにまたがって設置された。この下水処理場はヨーロッパ最大で、シカゴの下水処理場に次いで世界第2位の規模である。処理場はオー=ド=セーヌ県セーヌ=サン=ドニ県ヴァル=ドワーズ県といった県そしてパリと約800万人分の下水を扱っている。それはイル=ド=フランス地域圏の180のコミューンからの下水であり、年間14万トンもの下水汚泥を扱う。

経済

住宅地が主体であるが、ポワシーにあるPSA・プジョーシトロエンポワシー工場の影響を受ける。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
5390 10444 15172 15351 15039 18929 19850

参照元:1962年までEHESS[4]、1968年以降INSEE [5] · [6]

姉妹都市

脚注

  1. ^ Marianne Mulon, Noms de lieux d'Île-de-France, Bonneton,‎ (ISBN 2-86253-220-7), p. 174.
  2. ^ Roger Bélis, Achères au fil des siècles : de la préhistoire à l'automobile, Comité de jumelage d'Achères,‎ , p. 26-27.
  3. ^ Yvelines, le magazine du conseil général
  4. ^ « Des villages de Cassini aux communes d'aujourd'hui », sur site de l'École des hautes études en sciences sociales (consulté le 4 mai 2011)
  5. ^ « Évolution et structure de la population (de 1968 à 2007) », sur Insee (consulté le 4 mai 2011)
  6. ^ « Recensement de la population au 1 janvier 2008 », sur Insee (consulté le 4 mai 2011)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アシェール (イヴリーヌ県)」の関連用語

アシェール (イヴリーヌ県)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アシェール (イヴリーヌ県)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアシェール (イヴリーヌ県) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS