ラスベガスのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 08:53 UTC 版)
「ベンジャミン・シーゲル」の記事における「ラスベガスのその後」の解説
フラミンゴホテルは、シーゲルの暗殺後、オーナー会議が開かれ、サンフォード・アドラーらに経営を任せたが利益が上がらなかったため、1948年ニューヨークマフィア傘下のモー・セドウェイやガス・グリーンバウムらの経営体制に移行した。モーとグリーンバウムは、それまでのカジノの主流だった、カーペットジョイントと呼ばれる高級カジノ志向を捨てて大衆的な低価格路線を打ち出し、これが戦時中の配給制で禁欲を強いられたアメリカ市民の娯楽欲求に火をつけた。全米から客が大挙して押し寄せる大ブームとなり、その後のラスベガスの繁栄のきっかけを作った。時代の流れを読み切ったモーの戦略とブックメーカーとして場数を踏んだグリーンバウムの経験値が合体し、フラミンゴを成功に導いた。様子見を決め込んでいたニューヨーク以外のマフィアが一斉にラスベガスになだれ込み、大型カジノホテルを次々とオープンした。これらマフィア支配下のカジノホテルはカジノ収益のスキミング(ピンハネ)を開始し、後で脱税追及を徹底的に受けることになった。1948年のフラミンゴの利益は400万ドルだったが、スキミングする前の総利益は、一説に1500万ドルとも言われた。
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