ヨムスヴァイキングとは? わかりやすく解説

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ヨムスヴァイキング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/26 05:36 UTC 版)

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986年ヒョルンガヴァーグの戦い英語版において、雹の嵐の中で戦うヨムスヴァイキング。

ヨムスヴァイキングヨムスヴィキング[1]ヨームのヴァイキング[2]とも。Jomsvikings)は、10世紀から11世紀にかけて活躍したおそらくは伝説上のヴァイキング傭兵団または盗賊団である。彼らはオーディントールといった神々への崇拝に一生を捧げていた。彼らは(キリスト教圏から見て)忠実な異教徒(en)であった。しかし一般的な評価によれば、彼らは自分たちに相当な額の報酬を払うことができるいかなる貴族のためにも戦い、時にはキリスト教徒である統治者と共に戦った。

解説

古代北欧のサガ(en)(特に『ヨムスヴァイキングのサガ英語版』、『オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』、フラート島本に見られるいくつかの物語)によると、彼らの拠点であるヨムスボルグバルト海の南岸にあったとされている。しかしその正確な場所については現代の歴史家や考古学者によって議論されている。多くの学者は、ウォリン英語版内のウォリン町の北方、シルバーベルク(Silberberg)の丘にいたと考えている[3][4][5]ヨムスボルグは、中世のデンマーク語ドイツ語での記録で言及されている「Jumne」、「Julin」そして「Vineta」と同一の場所だと考えられている[5]

ヨムスヴァイキングの伝説は、12世紀から13世紀にかけてのアイスランドのサガ(en)のいくつかに見いだされる。主要な情報源が不足していることから、ヨムスヴァイキングの存在は、史実に基づく活動範囲の議論の題材となっている。「Jomsvikings」や「Jomsborg」という名前に言及している現代の情報源はないものの、3つのルーン石碑が現在もある。そして、彼らの戦いの1つに言及し伝えている当時の何編の詩節(Lausavísa)がある[注釈 1]

デンマーク人の事績』によれば、ヨムスボルグに城塞を作ったのはデンマークハラルド青歯王とされている。しかし『ヨムスヴァイキングのサガ』によれば、ヴェンドの王ブリスラヴが自国をヴァイキングから守るために、デンマークのフュン島を支配していたパルナトキ英語版に築かせたという[6]。同サガの伝えるところでは、パルナトキはヨムスボルグにおいて部下を鍛えたが、彼の元に集まった男達には、後にパルナトキを継いで首領となるシグヴァルディのっぽのトルケルなどがいる[7]。シグヴァルディの代になってから、デンマーク王スヴェン双叉髭王に対しノルウェーハーコン・シグルザルソンを倒すことを約束して出撃する(ヒョルンガヴァーグの戦い)。しかしハーコンの守護女神であるトルゲルドとイルパ(en)がの嵐を起こしたため、シグヴァルディらは撤退した。986年のこの戦いでの敗北がやがてヨムスボルグを弱化させることとなった[8]

ヨムスヴァイキングは984年のフューリスヴァラナの戦い英語版[9]にも関与した(Mårten Eskil Wingeが1888に描いた絵画。)
1000年のスヴォルドの海戦。(オットー・シンディングが描いた絵画。)

オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』は、ヨムスヴァイキングが1000年スヴォルドの戦いで、それが裏切りであるならば、決定的な役割を演じたことを語っている。スヴォルドにおいて、ヤールのシグヴァルディ率いるヨムスヴァイキングの艦隊は、ノルウェーのオーラヴ・トリュッグヴァソン王を見捨て、彼の艦隊を全滅させるために、彼の敵と協力した[注釈 2]

ヨムスヴァイキングは1009年に東部イングランドを襲っており、11世紀前半の期間にはスカンディナヴィア各地の領土も侵略した。1013年頃にはスヴェン双叉髭王に代わってイングランドに出征していたが、観点を変えれば、おそらくはイングランド人から彼ら自身のためのデーンゲルド英語版(退去料)を得るための計略であった。ヴァイキングの侵略軍はエゼルレッド無思慮王ノルマンディーへ追い払うこととなった。

ヨムスヴァイキングは20-30年ほどの間に衰退の一途を辿っていった。1043年、『ヘイムスクリングラ』によると、ノルウェーのマグヌス1世はヨムスヴァイキングの脅威に終止符を打つことを決めた。彼はヨムスヴァイキングを打ち負かし、その要塞を破壊して、生き残ったヴァイキング達を処刑した。

フィクションでの登場事例

ヨムスヴァイキングは連載漫画の『ヴィンランド・サガ』において大きな役割を果たしている。作品中で、主要な登場人物の幾人かは、のっぽのトルケルといったサガにおけるヨムスヴァイキング達やクヌート大王をモデルにしている。

関連項目

主要な情報源

この一覧は網羅的ではない:

脚注

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注釈

  1. ^ ヨムスヴァイキングと『ヨムスヴァイキングのサガ』の史的確実性について(For the historiocity of the Jomsvikings and the Saga of the Jomsvikings); 記事に関して異なる見解を持った議論については Jones 127 at n.1. を参照。ジョーンズはサガを架空の話だと考えているが、ヨムスヴァイキング自体に説得力がなく存在することはあり得なかったという結論に行き着いている。
  2. ^ この行動は、オーラヴによって強制的に進められたスカンディナヴィアのキリスト教化を食い止めることを目的としていたかも知れない。しかし戦いが起こったとき、海戦後にはノルウェーの王座を得るデンマーク王スヴェンは、名目上のごくわずかなものであったが、キリスト教徒であった。デンマーク王である彼と彼の父ハラルド青歯王は、965年には洗礼を施されたことが報告されている。

出典

  1. ^ 『サガとエッダの世界』で確認した日本語表記。
  2. ^ 『ヘイムスクリングラ 北欧王朝史(一)』(スノッリ・ストゥルルソン著、谷口幸男訳、プレスポート・北欧文化通信社、2008年、ISBN 978-4-938409-02-9)330頁で確認した日本語表記。
  3. ^ Nordisk familjebok
  4. ^ Jones 127; Kunkel passim.
  5. ^ a b Johannes Hoops, Herbert Jankuhn, Heinrich Beck, Reallexikon der germanischen Altertumskunde Band 16, 2nd edition, Walter de Gruyter, 2000, pp.120-121, ISBN 3-11-016782-4
  6. ^ 『サガとエッダの世界』201頁。
  7. ^ 『サガとエッダの世界』201頁。
  8. ^ 『サガとエッダの世界』202頁。
  9. ^ 『北欧史』(百瀬宏熊野聰・村井誠人著、山川出版社〈新版世界各国史21〉、1998年、ISBN 978-4-634-41510-2)30頁で確認した表記。

参考文献

英語版

日本語訳にあたり直接参照していない。
  • Hollander, Lee M., Trans. The Saga of the Jomsvikings. University of Texas Press, 1989.
  • Jones, Gwyn. A History of the Vikings. 2d ed. Oxford Univ. Press, USA, 2001.
  • Kunkel, O. and K.A. Wilde. Jumne, 'Vineta', Jomsborg, Julin: Wollin. Stettin, 1941.
  • Palson, Hermann, et al., translators. Eyrbyggja Saga. Penguin Classics, 1989.
  • Sturlason, Snorre, and Erling Monsen (Editor). Heimskringla: Or the Lives of the Norse Kings. Dover Publications, 1990.

日本語版

  • 山室静『サガとエッダの世界 アイスランドの歴史と文化』社会思想社〈そしおぶっくす〉、1982年。

外部リンク


ヨムスヴァイキング

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ヨムスボルグ」の記事における「ヨムスヴァイキング」の解説

ヨムスヴァイキングは、法典指導者にのみ忠実な精鋭部隊である。ヨムスボルグ領主は、シグヴァルディ伯爵(デンマークスコーネ地方のストルド・ハラルド(英語版)王の息子)だったシグヴァルディ1010年より前に亡くなった1009年、ヨムスヴァイキングの多くシグヴァルディ兄弟ヘリングのっぽのトルケルと共にイングランド旅立った。後に彼らはクヌート1世常備軍ハスカール(傭兵)になった

※この「ヨムスヴァイキング」の解説は、「ヨムスボルグ」の解説の一部です。
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