ユール・ウォーカー式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 16:07 UTC 版)
「ギルバート・ウォーカー」の記事における「ユール・ウォーカー式」の解説
19世紀に各国で始まった気象観測であったが、観測手法や値の単位が異なっていたため、データを交換しても他国ではそう簡単には使えなかった。19世紀末頃から気象観測結果の国際的なデータ交換が議論され始め、それはデータの記録方法の統一へと徐々につながっていった。 そういった背景を受けて、20世紀に入ると、一方で世界各地の気象観測の結果を使った相関関係の調査が、気象学の研究として行われるようになった。他方で、その気象の変動要因として太陽黒点の変動も浮かび上がった。この時間的にある幅でランダムに変動する、つまり揺らぎを持つ準周期的な自然現象が、時系列データを扱う統計学に進歩をもたらした。当時、決定論的な調和解析を用いて太陽黒点の変動が11年周期を持つのではないかと議論されていた。ところが、イギリスの統計学者ウドニー・ユール(Udny Yule)は、1927年に太陽黒点の変動周期について、決定論的にではなくその強さや周期が揺らぎを持つという前提で、新たに2次の自己回帰モデル(AR(2))という手法を考案した。そして、それを用いて太陽黒点の変動周期がおよそ11年であることを示した。これは厳密な調和解析による手法より太陽黒点の周期変動の多くを説明できた。 ウォーカーはユールによる自己回帰モデルの研究の前から、気象の準周期的な現象の問題に取り組んでいた。ユールによる自己回帰モデルの考案の前の1925年に、ウォーカーは南方振動の周期に3~3.25年の幅があることを示しており、そういう幅がある周期現象には自己相関を用いた分析が有効であると気づいていた 。しかし、ウォーカーが調査していたダーウィンの気圧変動は、ユールの自己回帰モデルAR(2)より複雑だった。そのため、彼はユールの手法を任意の次数ρの自己回帰モデルAR(ρ)に拡大した。彼は1931年に以下の[どれ?]ユール・ウォーカー式を導出した。このユール・ウォーカー式はウォーカーがユールの成果を拡張したものであり、共同で導いたわけではない。
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