モーリッツ・フォン・ヘッセンとは? わかりやすく解説

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モーリッツ・フォン・ヘッセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/28 15:08 UTC 版)

モーリッツ
Moritz
ヘッセン家家長
モーリッツ・フォン・ヘッセン(2010年11月)
在位 1980年 - 2013年

全名
出生 (1926-08-06) 1926年8月6日
イタリア王国ピエモンテ州ラッコニージ、ラッコニージ城
死去 (2013-05-23) 2013年5月23日(86歳没)
ドイツヘッセン州フランクフルト・アム・マイン
埋葬 ドイツヘッセン州クロンベルク・イム・タウヌス、クロンベルク城
配偶者 タティアナ
子女
家名 ヘッセン家ヘッセン=ルンペンハイム家
父親 フィリップ
母親 マファルダ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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モーリッツ・ラントグラーフ・フォン・ヘッセンドイツ語: Moritz Landgraf von Hessen, 1926年8月6日 - 2013年5月23日)は、ヘッセン家の当主。イタリア語名はマウリツィオ・ダッシア (Maurizio d'Assia)。

生涯

母マファルダとモーリッツ、弟のハインリヒ(1930年代)

1926年、フィリップ・フォン・ヘッセンの長男としてイタリアラッコニージ城英語版に生まれた。第二次世界大戦中、父フィリップはゲシュタポに逮捕され、母マファルダブーヘンヴァルト強制収容所へ拘留・収監され、まもなく死亡した。

後継者のいなかったヘッセン=ダルムシュタット家の当主ルートヴィヒとの養子縁組に基づき、1961年にヘッセン・ウント・バイ・ライン大公の爵位請求権を相続した[1]

ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯家家長グスタフ・アルブレヒトの次女タティアナ英語版と結婚した。結婚式は1964年夏、ギーセンにおいて執り行われたが、1974年に離婚した。1980年10月25日、父フィリップの死に伴いヘッセン=カッセル方伯家の当主となり、合わせて両ヘッセン家の当主となった。

2005年9月に放送された日本のテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」において、鑑定士中島誠之助・阿藤芳樹、タレント住田隆がモーリッツの屋敷を訪れ、所有している骨董品を鑑定するという企画が行われた。このうち初期柿右衛門様式の壺には5億円という番組史上最高額(放送当時)の鑑定額が付けられた[2]

子女

タティアナ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルクとの間に2男2女を儲けた。

脚注

  1. ^ Hesse-Kassel Royal Family”. 2012年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月24日閲覧。(英語)
  2. ^ テレビ東京広報資料
先代
ルートヴィヒ
ヘッセン大公家家長
1968年 - 2013年
次代
ハインリヒ・ドナトゥス
先代
フィリップ
ヘッセン=カッセル方伯家
家長

1980年 - 2013年




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