ルートヴィヒ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットとは? わかりやすく解説

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ルートヴィヒ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 13:42 UTC 版)

ルートヴィヒ
Ludwig
ヘッセン大公家家長
ヘッセン大公子ルートヴィヒ
在位 1937年 - 1968年

全名
称号 ヘッセン大公子
敬称 殿下
出生 (1908-11-20) 1908年11月20日
 ドイツ帝国
ヘッセン大公国ダルムシュタット
死去 (1968-05-30) 1968年5月30日(59歳没)
西ドイツヘッセン州フランクフルト
埋葬 西ドイツヘッセン州ダルムシュタット、ローゼンヘーエ公園
配偶者 マーガレット・キャンベル=ゲッデス
家名 ヘッセン=ダルムシュタット家
父親 エルンスト・ルートヴィヒ
母親 エレオノーレ・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ルートヴィヒ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットドイツ語: Ludwig von Hessen-Darmstadt, 1908年11月20日 - 1968年5月30日)は、ヘッセン大公家家長(1937年 - 1968年)。

生涯

ヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒとその2番目の妃のゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ侯女エレオノーレの間に次男として生まれた。ルートヴィヒは1937年にイギリスの政治家・外交官ゲッデス卿英語版の娘マーガレット・キャンベル=ゲッデス(1913年 - 1997年)と結婚したが、このときロンドンで行われた結婚式に出席するはずだった兄ゲオルク・ドナトゥスとその妻子、母エレオノーレはイギリスに向かう途中の飛行機事故により不慮の死を遂げ、ルートヴィヒは兄からヘッセン大公家の家長位を継ぐことになった。

ルートヴィヒ夫妻には子供がなく、ゲオルク・ドナトゥスの3人の子供の中で唯一生き残っていたヨハンナを養女に迎えたが、ヨハンナは3歳になる前に死去した。ルートヴィヒはヘッセン大公家の家督を同族ヘッセン=カッセル家のモーリッツに継がせることを決め、1961年にはモーリッツと養子縁組をしている。1968年のルートヴィヒの死により、ヘッセン=ダルムシュタット家は断絶した。

先代
ゲオルク・ドナトゥス
ヘッセン大公家家長
1937年 - 1968年
次代
モーリッツ



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