ルートヴィヒ・フォン・プロイセン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 01:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| ルートヴィヒ・フォン・プロイセン Ludwig von Preußen |
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ルートヴィヒ(1786年)
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| 出生 | 1773年11月5日 |
| 死去 | 1796年12月28日(23歳没) |
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| 配偶者 | フリーデリケ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ |
| 子女 | フリードリヒ カール フリーデリケ |
| 家名 | ホーエンツォレルン家 |
| 父親 | プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 |
| 母親 | フリーデリケ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
ルートヴィヒ・フォン・プロイセン(Ludwig von Preußen, 1773年11月5日 - 1796年12月28日)は、プロイセン王国の王族。全名はフリードリヒ・ルートヴィヒ・カール(Friedrich Ludwig Karl)で、しばしばルイ(Louis)と呼ばれる。フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の次男で、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の弟。
生涯
ルートヴィヒは1773年11月5日、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(当時王太子)とその2番目の妃であったヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世の娘フリーデリケ(1751年 - 1805年)の間の第3子としてポツダムで生まれた。彼は1793年12月26日にメクレンブルク=シュトレーリッツ大公カール2世の娘フリーデリケとベルリンで結婚した(その2日前にルートヴィヒの兄フリードリヒ・ヴィルヘルム3世とフリーデリケの姉ルイーゼが結婚している)。フリーデリケとの間には以下の2男1女が生まれたが、ルートヴィヒは1796年12月28日にジフテリアに罹患してベルリンで急死した。
子女
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(1794年 - 1863年)
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・カール・ゲオルク(1795年 - 1798年)
- フリーデリケ・ヴィルヘルミーナ・ルイーゼ・アメーリア(1796年 - 1850年) - アンハルト=デッサウ公レオポルト4世妃
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