モーダウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 07:53 UTC 版)
「オーバー=ラムシュタット」の記事における「モーダウ」の解説
「Mutdaha」という記述は、804年のロルシュ土地台帳に初めて記録されている。これは現在のニーダー=ムーダウのことを示していると推測される。その後、表記はModa、Muda、Maudava、Modachと変遷した。これらから沼地や水といった概念が読み取れる。オーバー=ムーダウが初めて記録されているのは1362年である。この頃、この村はカッツェンエルンボーゲン伯のツェーント(十分の一税徴税区に基づく当時の地方行政区分)に属していた。 ニーダー=ムーダウ近郊の城山には1382年まで城が建っていた。最後の城主ヴェルナー・カルプ・フォン・ラインハイムは、ディーター3世フォン・カッツェンエルンボーゲンの縁戚にあたる人物であった。カルプは一時期タンネンベルク城の管理を行っていたこともあるが、史書には盗賊騎士として登場する。ニーダー=ムーダウ城は、1382年にフランクフルト、マインツ、ヴォルムスの軍勢によって破壊され、再建されることはなかった。その城址は石切場として利用された。現在はかつての城壁が見られるだけである(オーバー=ラムシュタット遊歩道O4)。 1971年7月1日にオーバー=ムーダウとニーダー=ムーダウが合併し、モーダウという町村が成立した。
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