モンゴル高原中央部における会戦(オルホン河の戦い)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 15:40 UTC 版)
「シリギの乱」の記事における「モンゴル高原中央部における会戦(オルホン河の戦い)」の解説
ジルワダイの討伐後、トトガク率いるキプチャク軍、ジルワダイを討伐してきた諸軍、そして南宋遠征から急行してきたバヤン軍はモンゴル高原中央部に進出し、各地で反乱軍を破った。この頃、オイラト人のベクレミシュ率いる軍勢がトク・テムル軍と接触したことで「カイドゥとジョチ家諸王が援軍に来る」という言葉が虚言であったことが判明し、オゴデイ系・チャガタイ系諸王は一部を除いてこの時反乱軍から離脱した。 トク・テムルらはトトガク率いるキプチャク軍の、ヨブクルらはバイダル率いるアスト軍の攻撃を受けてそれぞれトーラ河を撤退し、更に西に進んで反乱軍はオルホン河に集結した。同年8月、両軍はそれぞれオルホン河に布陣して対峙したが、シリギ軍の捕虜になっていたヤクドゥが内部から反乱軍を撹乱したことが決定打となり、トク・テムルら反乱軍は大敗を喫した。 一連の戦役で最大の激戦となったこのオルホン河の戦いで叛乱軍の劣勢は決定的となり、これ以後叛乱軍は攻勢に出ることなく内部分裂によって弱体化していくこととなる。
※この「モンゴル高原中央部における会戦(オルホン河の戦い)」の解説は、「シリギの乱」の解説の一部です。
「モンゴル高原中央部における会戦(オルホン河の戦い)」を含む「シリギの乱」の記事については、「シリギの乱」の概要を参照ください。
- モンゴル高原中央部における会戦のページへのリンク