モニュメント化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 09:03 UTC 版)
「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」の記事における「モニュメント化」の解説
1989年(平成元年)日赤は、被爆し築後50年に達した旧日赤病院建物を取り壊し、被爆の後が残る窓枠とガラス片が刺さった壁を部分保存し広島平和記念資料館に寄贈する方針を公表する。そこへ、旧日赤病院は被爆直後の医療の最前線で戦後被爆医療の象徴であったとして、市民団体により激しい保存運動が起こった。ただ日赤は方針を変えず、保存場所が具体的に決まらないまま取り壊し工事がはじまった。 1993年(平成5年)、日赤は病院敷地内に部分保存する方針を正式発表する。一方市民団体による保存運動の中で、広島市は被爆50年目事業として被爆建物の洗い直しを始め、民間で保存する場合は市が助成金を出す「市被爆建物等保存・継承事業実施要項」を制定する。その適用第1号として旧日赤病院遺構群が選ばれ、同1993年に日赤病院敷地東端の千田通り沿いにモニュメント保存された。 病院前に設置された原爆の爆風でゆがんだ鉄製の窓枠と建物の一部(移設前) 同じく原爆の爆風で窓ガラスの破片が突き刺さった跡が残る壁の一部(移設前) 2015年の新病棟が完成するまでの病院 そして病院の新たな改修に伴い、病院内のモニュメントを南側の日赤広島支部敷地内に移し、2013年(平成25年)「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」として整備された。
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