ミュージシャン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:08 UTC 版)
ニューヨークで結成されたプラズマティックスは、70年代終わりから80年代にかけて、ハードコアなステージで人気を獲得し、カルト的存在のパンク・ロック・バンドとして一斉を風靡した。船原はそのプラズマティックスの結成オリジナル・メンバーであり、1978年、全米ツアーに参加、翌年はヨーロッパ・ツアーにも参加した。しかし、アナーキーなステージ演出は「危険すぎる」という理由で、1980年8月8日のイギリス・デビュー・コンサートが中止になるというハプニングもあった。 70年代から80年代にかけて、世界で活躍する日本人ベーシストとしては、ロッド・ステュワートのバックをやっていた山内テツがおり、当時は“ロンドンのテツか、ニューヨークのチョウセイか”と言われるほどで、船原の人気も、ニューヨークのストリートを歩いていると突然サインを求められるほどであったという。ミュージシャンとして成功した船原は、米国永住権(いわゆるグリーンカード)を獲得。その後、船原の目標は学生時代から映画製作にあり、1980年、人気絶頂だったプラズマティックスを脱退した。
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