マークスミス_(外野手)とは? わかりやすく解説

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マーク・スミス (外野手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 11:12 UTC 版)

マーク・スミス
Mark Smith
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州パサデナ
生年月日 (1970-05-07) 1970年5月7日(55歳)
身長
体重
190 cm
107 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1991年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1994年5月14日
NPB / 1999年4月2日
KBO / 2005年4月2日
最終出場 MLB / 2003年9月28日
NPB / 1999年10月16日
KBO / 2005年5月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マーク・エドワード・スミスMark Edward Smith , 1970年5月7日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

1991年MLBドラフト1巡目(全体9位)でボルチモア・オリオールズから指名され契約。1994年5月14日にメジャーデビュー。1997年ピッツバーグ・パイレーツに移籍。

1998年はパイレーツで59試合(一塁手6試合、左翼手16試合、右翼手9試合)[1]に出場したが、打率.195、2本塁打の成績に終わった[2]。同年までのMLB通算成績は197試合出場、打率.243、18本塁打で、同年のAAA級では打率.355、8本塁打の成績を残した[1]。同年オフには代理人を務めたトーマス・オマリーの推薦を受け[3]ヤクルトスワローズ西都秋季キャンプで入団テストを受験[1]、同年11月23日には合格が発表された[4]。1999年1月4日、ロベルト・ペタジーニジェイソン・ハッカミーとともにヤクルトへの入団が発表された[5]年俸は50万ドル(当時の為替レートで約5750万)、背番号10[6]

1999年は2月のユマ春季キャンプで左手小指を亀裂骨折し、全治6週間と診断されるが[3]飯田哲也が同年3月22日のオープン戦で左肩を亜脱臼したことを受け、同月24日のオリックス・ブルーウェーブとのオープン戦で飯田に代わって一番打者としてオープン戦初出場を果たし、2安打を放つ[7]。開幕からペタジーニ、古田敦也高橋智らとともに強力打線を形成。4月終了時点での打撃成績は打率.312、8本塁打と非常に優れた成績を残していた。しかし5月に入ってからは同月28日までに打率.175、0本塁打、22三振と不振に陥り[8]、同日時点では直近10試合で30打数4安打、打率.133、14三振で、体重も7 kg減少するなど精神面でも不調だったため、同日には出場選手登録を抹消され、二軍に降格する[9]。その後、6月9日にイースタン・リーグの対読売ジャイアンツ(巨人)戦で満塁本塁打を放つなど調子を上げてきたことから、翌10日の横浜ベイスターズ戦から一軍に再合流したが[10]、一軍でもスタメンを外れる試合も増え、更には怪我や不振で離脱していた飯田や稲葉篤紀の復帰、佐藤真一の打撃好調もあり外野の層が厚くなった結果、出場試合数も98試合と規定打席に届かずにシーズンを終了した。6月15日までに11本塁打を記録していたが、うち9本が負け試合で打ったものであり、複数本塁打を放った3試合ではチームは全て勝利できていなかった[11]。シーズン終盤の9月20日時点ではペタジーニに次ぐチーム2位の20本塁打を放ち、打点でもチーム3位の55打点をマークしていたが[12]、打率は.206にとどまった[13]。持病の膝痛で守備に不安を抱えていたこと、また首脳陣が両膝に故障を抱えていた土橋勝征の外野転向を検討していたことから、翌2000年の戦力構想から外れ、1年で退団することとなった[12]。その後、オリックスや千葉ロッテマリーンズがスミスの獲得を検討したが[14][13]、NPBの他球団との入団交渉には至らず、スミスは同年10月24日に帰国した[15]

ヤクルト退団後の翌2000年フロリダ・マーリンズでメジャー復帰を果たした。同年にもロッテに売り込みをしていたが[16]、入団は実現しなかった。

2004年12月20日に韓国ハンファ・イーグルスと契約するも、2005年シーズンは低打率にあえぎ、シーズン途中の5月19日に解雇された。同年限りで現役引退。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1994 BAL 3 7 7 0 1 0 0 0 1 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
1995 37 120 104 11 24 5 0 3 38 15 3 0 2 1 12 2 1 22 4 .231 .314 .365 .679
1996 27 84 78 9 19 2 0 4 33 10 0 2 0 0 3 0 3 20 0 .244 .298 .423 .721
1997 PIT 71 222 193 29 55 13 1 9 97 35 3 1 0 1 28 1 0 36 3 .285 .374 .503 .876
1998 59 144 128 18 25 6 0 2 45 13 7 0 0 3 10 0 3 26 1 .195 .264 .289 .553
1999 ヤクルト 98 325 293 38 76 11 1 20 149 55 3 1 1 2 22 1 7 83 4 .259 .324 .509 .833
2000 FLA 104 213 192 22 47 8 1 5 72 27 2 0 0 2 17 1 2 54 2 .245 .310 .375 .685
2001 MON 80 222 194 28 47 13 1 6 80 18 0 2 1 2 23 0 2 38 3 .242 .326 .412 .738
2003 MIL 33 69 63 8 15 4 0 3 28 10 0 0 0 2 4 0 0 13 5 .238 .275 .444 .720
2005 ハンファ 30 109 100 11 22 3 0 6 43 19 0 0 0 1 7 0 1 25 3 .220 .275 .430 .705
MLB:8年 414 1081 959 125 233 51 3 32 386 130 15 5 3 11 97 4 11 211 18 .243 .316 .403 .719
NPB:1年 98 325 293 38 76 11 1 20 149 55 3 1 1 2 22 1 7 83 4 .259 .324 .509 .833
KBO:1年 30 109 100 11 22 3 0 6 43 19 0 0 0 1 7 0 1 25 3 .220 .275 .430 .705

記録

NPB

背番号

  • 34(1994年 - 1996年、2005年)
  • 25(1997年 - 1998年、2001年)
  • 10(1999年)
  • 18(2000年)
  • 29(2003年)

脚注

  1. ^ a b c 『スポーツ報知』1998年11月5日付2頁「ヤクルト 新外国人のマーク・スミスをテスト 合格確実」(報知新聞東京本社)
  2. ^ サンケイスポーツ』1998年11月6日付第7版2頁「ミニ情報 テスト」(産業経済新聞社
  3. ^ a b 『スポーツ報知』1999年2月11日付5頁「【ユマ(米アリゾナ州)9日=ペン・佐々木良機】ヤクルトのマーク・スミスが左手小指骨折で開幕ピンチ」(報知新聞社)
  4. ^ 『日刊スポーツ』1998年11月24日付5頁「ヤクルト 来季新外国人選手として、レッズのペタジーニら3選手の獲得が内定」(日刊スポーツ新聞社)
  5. ^ 中日スポーツ』1999年1月5日朝刊第5版2頁「新外国人三選手発表」(中日新聞社
  6. ^ 『日刊スポーツ』1999年1月5日付5頁「ヤクルト 新外国人選手として、前レッズのペタジーニら3名の獲得を発表」(日刊スポーツ新聞社)
  7. ^ 『日刊スポーツ』1999年3月25日付6頁「オープン戦 ヤクルト―オリックス(1)高橋智 古巣相手に2本塁打、3打点」(日刊スポーツ新聞社)
  8. ^ 『日刊スポーツ』1999年5月29日付4頁「ヤクルト マーク・スミス 夏バテを理由に選手登録を抹消」(日刊スポーツ新聞社)
  9. ^ 『スポーツ報知』1999年5月29日付2頁「ヤクルトの新外国人マーク・スミスが〝ノイローゼ〟で登録抹消」(報知新聞社 佐々木良機)
  10. ^ 『日刊スポーツ』1999年6月10日2頁「ヤクルト 不振で2軍落ちしていたマーク・スミス 今日の横浜戦から一軍合流」(日刊スポーツ新聞社)
  11. ^ 『日刊スポーツ』1999年6月16日付2頁「中日―ヤクルト(12) マーク・スミス 2打席連続アーチ放つも、また空砲に」(日刊スポーツ新聞社)
  12. ^ a b 日刊スポーツ』1999年9月21日付2頁「ヤクルト マーク・スミス 戦力構想から外れ、今季限りでの退団が明らかに」(日刊スポーツ新聞社
  13. ^ a b 『日刊スポーツ』1999年10月13日付4頁「ロッテ ヤクルトを戦力外となったマーク・スミスを獲得へ」(日刊スポーツ新聞社)
  14. ^ スポーツ報知』1999年10月9日付4頁「オリックス 巨人・石井浩郎の獲得に名乗り」(報知新聞社
  15. ^ 『日刊スポーツ』1999年10月25日付4頁「ヤクルトを自由契約となったマーク・スミス 日本での移籍先が見つからず帰国」(日刊スポーツ新聞社)
  16. ^ 『スポーツ報知』2000年5月11日付4頁「ロッテが第5の助っ人獲得へ」(報知新聞社)

関連項目

外部リンク




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