マンドゥフイ・ハトゥンの史実
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「マンドゥフイ・ハトゥン」の記事における「マンドゥフイ・ハトゥンの史実」の解説
上述したように、マンドゥフイ・ハトゥンはモンゴル年代記においてダヤン・ハーン擁立の立役者として称賛されてきた。一方、同時代の漢文史料ではマンドゥフイの存在について全く言及されておらず、ヨンシエブ部のイスマイル、トゥメト部のトゥルゲンらがダヤン・ハーン擁立に貢献したと記されている。このため、実際にはマンドゥフイ・ハトゥンがダヤン・ハーン擁立に果たした役割は限られたものである、あるいはマンドゥフイ・ハトゥンに関わる説話の多くが創作であるとの説もある。 モンゴル年代記においてマンドゥフイ・ハトゥンの業績が誇張された要因として、年代記の作者たちがハーンを傀儡とし権力を握ったイスマイルらを故意におとしめ、マンドゥフイ・ハトゥンの業績を特筆することでハーンの権威を損なわないよう配慮したのではないかという説がある。 ただし、一方でモンゴル史上でハーンの選出に大きな役割を果たした女性が存在するのも確かであり、井上治は漢文史料に記述がないことを理由にマンドゥフイ・ハトゥンの存在自体を疑問視するのは不適切であろうと指摘し、マンドゥフイの配慮とイスマイルの支持両方がダヤン・ハーンの即位に関係したのであろうと述べている。
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