マレーシア・グランプリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マレーシア・グランプリの意味・解説 

マレーシアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/07 06:08 UTC 版)

Malaysian Grand Prix
セパン・インターナショナル・サーキット
レース情報
周回 56
コース長 5.543 km (3.444 mi)
レース長 310.408 km (192.878 mi)
開催回数 36
初回 1962年
最終開催 2017年
最多勝利
(ドライバー)
ジョン・マクドナルド英語版 (4)
v アルバート・プーン英語版 (4)
セバスチャン・ベッテル (4)
最多勝利
(コンストラクター)
フェラーリ (7)
最新開催(2017年):
ポールポジション ルイス・ハミルトン
メルセデス
1:30.076
決勝順位 1. マックス・フェルスタッペン
レッドブル-タグ・ホイヤー
1:30:01.290
2. ルイス・ハミルトン
メルセデス
+12.770s
3. ダニエル・リカルド
レッドブル-タグ・ホイヤー
+22.519s
ファステストラップ セバスチャン・ベッテル
フェラーリ
1:34.080

マレーシアグランプリMalaysia Grand Prix)は1999年から2017年までマレーシアクアラルンプール近郊のセランゴール州セパン(Sepang)にあるセパン・サーキットで行われたF1のグランプリである。

概要

マレーシアの観光振興策のひとつとして、アジア地域では日本(日本GPパシフィックGP)に続き2国目のF1誘致に成功し、1999年に初開催された。ヘルマン・ティルケが設計した新設サーキットでは初開催であった。1999年は第15戦、2000年は最終戦と終盤での開催であったが、2001年から2015年まで、開幕戦オーストラリアGPに続くシーズン第2戦としての開催が定着していた。2016年は開催が10月(第16戦)に移動し、シンガポール→マレーシア→日本というアジア3連戦の2戦目に組み込まれた。

高温・多湿というドライバーには過酷な条件に加えて、午後には毎日のように通り雨(スコール)が降ることがレース結果の予想を難しくしていた。スコールが降り出すとコースは水浸しになり、止むとすぐに路面が乾き始めるため、ドライ用/レイン用タイヤを履き替えるタイミングが重要であった。

2006年からチケットの大幅な値下げが行われたが、それでも観客動員は減少傾向となっており、2016年はセパン・インターナショナル・サーキットのキャパシティの半分強(前年比で1割減)にとどまった。このため、開催契約が切れる2018年をもって撤退することを検討していたが[1]、ナズリ・アブドゥル・アジズ(マレーシア観光文化相)は、開催コストの増大(1999年の初回開催時に比べて約10倍)、前述した観客動員の減少(過去最低を記録)、テレビ視聴者数が過去最低に落ち込んでいることを理由に契約延長を行わないとし、2018年をもってマレーシアグランプリを終了することが発表された[2][3]

2017年4月、マレーシア政府はマレーシアグランプリの終了を1年前倒すことを発表した。これによりマレーシアグランプリは19年の歴史に幕を下ろすことになった[4]

おもな出来事

2007年マレーシアGPの模様(1コーナー付近)
1999年
同年のイギリスGPで右足を骨折したミハエル・シューマッハが復帰戦でポールポジションを獲得。レースでは同僚のエディ・アーバインに勝利を譲り、アーバインとチャンピオンを争うミカ・ハッキネンをブロックするチームプレーを果たした。
2003年
予選ではフェルナンド・アロンソが当時の史上最年少記録(21歳236日)となる初ポールポジションを獲得。決勝レースではキミ・ライコネンが初優勝し、新世代の台頭を印象付けた。
2009年
土砂降りのスコールによりレースが中断。そのまま31周目終了時点の順位でレース打ち切りとなり、1991年オーストラリアGP以来のハーフポイントレースとなった[5]
2012年
この年も雨のため赤旗中断となり、51分後に再スタートが切られた。マシンの不調に悩むフェルナンド・アロンソセルジオ・ペレスとのマッチレースを制して優勝[6]
2013年
セバスチャン・ベッテルチームオーダーを無視してチームメイトのマーク・ウェバーを抜いて優勝し、両者の確執がマスコミを騒がせた。3・4位のメルセデスチームもチームオーダー発動の是非が取りざたされた[7]。また1回目のピットインの際に、メルセデスのルイス・ハミルトンが前年まで在籍していたマクラーレンのピットに間違って進入するハプニングも発生した[8]
2016年
トップを独走していたハミルトンがエンジントラブルでリタイア、ニコ・ロズベルグがスタート直後にベッテルと接触したため順位を落とし、ダニエル・リカルドが2年ぶりの勝利。チームメイトのマックス・フェルスタッペンが2位に続き、レッドブルが3年ぶりの1-2フィニッシュを果たす[9]

過去のレース結果

  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。

F1世界選手権レース開催前 (1962年-1995年)

1962年-1965年はスポーツカーレースとしてシンガポール(当時はマレーシアのシンガポール州)のトムソン・ロード・グランプリ・サーキット英語版で開催されていたが、1965年8月9日にシンガポールがマレーシアから独立したため、翌1966年からは「シンガポールグランプリ」と改められ、1973年まで同サーキットで開催された。

マレーシアグランプリは1968年からシャー・アラム・サーキットに移して再開され、当初はフォーミュラ・リブレとして、1971年から1975年は「東南アジア 1600cc 2バルブフォーミュラ(SE Asia 1600cc 2-valve Formula)」[10][注 1]、1976年-1977年は「ロスマンズ・インターナショナル・トロフィー (Rothmans International Trophy)」のタイトルがかけられ、「東南アジア 1600cc 4バルブフォーミュラ(SE Asia 1600cc 4-valve Formula)」に変更された[11][注 2]。1978年-1982年は「東南アジアフォーミュラ・パシフィック (Southeast Asia Formula Pacific)」の一戦となった[12][13][注 3]

1995年はフォーミュラ・ブラバム英語版の車両が使用された。

決勝日 サーキット 勝者 コンストラクター 出典
1962 不明 トムソン・ロード英語版 ヨン・ナム・キー (Yong Nam Kee) ジャガー [14][15][16]
1963 不明 トムソン・ロード アルバート・プーン英語版 ロータス-フォード [17][15][16]
1964 不明 トムソン・ロード 豪雨のため7周でレース中止 [18][15][16]
1965 04月12日 トムソン・ロード アルバート・プーン ロータス-フォード [19][15][20]
1966 シンガポールがマレーシアから分離独立したことに伴い「シンガポールグランプリ」に改称(1973年まで開催)
1967
1968 09月08日 シャー・アラム ヘングキ・イラワン (Hengkie Irawan) エルフィン英語版-フォード [21][22]
1969 10月26日 シャー・アラム トニー・モー (Tony Maw) エルフィン-フォード [23]
1970 09月06日 シャー・アラム ジョン・マクドナルド英語版 ブラバム-フォード [24]
1971 09月05日 シャー・アラム ジョン・マクドナルド ブラバム-フォード [25][26]
1972 04月09日 シャー・アラム ソニー・ラジャ (Sonny Rajah) マーチ-フォード [27][28]
1973 04月15日 シャー・アラム ジョン・マクドナルド ブラバム-フォード [29][30]
1974 04月07日 シャー・アラム アルバート・プーン ブラバム-フォード [31][32]
1975 03月30日 シャー・アラム ジョン・マクドナルド ブラバム-フォード [33][34]
1976 04月25日 シャー・アラム 豪雨のため中止 [11]
1977 04月24日 シャー・アラム パトリック・タンベイ マーチ-フォード [35]
1978 05月28日 シャー・アラム アルバート・プーン シェブロン英語版-フォード [36]
1979 05月06日 シャー・アラム ケン・スミス英語版 マーチ-フォード [37]
1980 05月25日 シャー・アラム スティーブ・ミレン ラルト-フォード
1981 05月24日 シャー・アラム アンドリュー・ミーデッケ (Andrew Miedecke) ラルト-フォード
1982 05月30日 シャー・アラム アンドリュー・ミーデッケ ラルト-フォード
1983
-
1994
開催されず
1995 不明 シャー・アラム ポール・ストーケル英語版 レイナード-ホールデン

F1世界選手権レース開催後 (1999年-2017年)

決勝日 ラウンド サーキット 勝者 コンストラクター 結果
1999 10月17日 15 セパン エディ・アーバイン フェラーリ 詳細
2000 10月22日 17 セパン ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2001 03月18日 2 セパン ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2002 03月17日 2 セパン ラルフ・シューマッハ ウィリアムズ-BMW 詳細
2003 03月23日 2 セパン キミ・ライコネン マクラーレン-メルセデス 詳細
2004 03月21日 2 セパン ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2005 03月20日 2 セパン フェルナンド・アロンソ ルノー 詳細
2006 03月19日 2 セパン ジャンカルロ・フィジケラ ルノー 詳細
2007 04月08日 2 セパン フェルナンド・アロンソ マクラーレン-メルセデス 詳細
2008 03月23日 2 セパン キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2009 04月05日 2 セパン ジェンソン・バトン ブラウン-メルセデス 詳細
2010 04月04日 3 セパン セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー 詳細
2011 04月10日 2 セパン セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー 詳細
2012 03月25日 2 セパン フェルナンド・アロンソ フェラーリ 詳細
2013 03月24日 2 セパン セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー 詳細
2014 03月30日 2 セパン ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2015 03月29日 2 セパン セバスチャン・ベッテル フェラーリ 詳細
2016 10月02日 16 セパン ダニエル・リカルド レッドブル-タグ・ホイヤー 詳細
2017 10月01日 15 セパン マックス・フェルスタッペン レッドブル-タグ・ホイヤー 詳細

開催されたサーキット

優勝回数

複数回勝利を挙げた者のみ対象とする。

ドライバー

回数 ドライバー 優勝年
4 ジョン・マクドナルド英語版 1970, 1971, 1973, 1975
アルバート・プーン英語版 1963, 1965, 1974, 1978
セバスチャン・ベッテル 2010, 2011, 2013, 2015
3 ミハエル・シューマッハ 2000, 2001, 2004
フェルナンド・アロンソ 2005, 2007, 2012
2 アンドリュー・ミーデッケ 1981, 1982
キミ・ライコネン 2003, 2008
出典: [38]

コンストラクター

回数 コンストラクター 優勝年
7 フェラーリ 1999, 2000, 2001, 2004, 2008, 2012, 2015
5 ブラバム 1970, 1971, 1973, 1974, 1975
レッドブル 2010, 2011, 2013, 2016, 2017
3 マーチ 1972, 1977, 1979
ラルト 1980, 1981, 1982
2 ロータス 1963, 1965
エルフィン英語版 1968, 1969
ルノー 2005, 2006
マクラーレン 2003, 2007
出典: [38]
  • 太字2025年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。

エンジン

回数 メーカー 優勝年
16 フォード [† 1] 1963, 1965, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1975, 1977, 1978, 1979, 1980, 1981, 1982
7 フェラーリ 1999, 2000, 2001, 2004, 2008, 2012, 2015
5 ルノー 2005, 2006, 2010, 2011, 2013
4 メルセデス [† 2] 2003, 2007, 2009, 2014
2 BMW 1977, 2002
タグ・ホイヤー [† 3] 2016, 2017
出典: [38]
  1. ^ コスワースが製造。
  2. ^ 2003年はイルモアが製造。
  3. ^ ルノーが製造。

脚注

注釈

  1. ^ F2車両がベース。
  2. ^ フォーミュラ・アトランティックの車両がベース。
  3. ^ 同シリーズにはマカオグランプリも含まれていた。日本でも1977年-1982年に全日本フォーミュラ・パシフィック選手権が開催された。

出典

  1. ^ F1マレーシアGP、開催撤退を検討”. F1-Gate.com (2016年10月25日). 2016年10月29日閲覧。
  2. ^ F1マレーシアGP、2018年で開催終了を発表”. F1-Gate.com (2016年11月22日). 2016年11月22日閲覧。
  3. ^ 2018年が最後だろうとマレーシア観光文化相”. ESPN F1 (2016年11月21日). 2016年11月22日閲覧。
  4. ^ マレーシアGPが今季開催で終了、19年の歴史に幕。2018年F1は21戦のカレンダーに”. AUTOSPORTweb (2017年4月7日). 2017年4月7日閲覧。
  5. ^ バトンが連勝!トヨタは3、4位と健闘”. スポーツニッポン新聞社 (2009年4月5日). 2016年9月20日閲覧。
  6. ^ アロンソ今季初V、可夢偉リタイヤ/F1”. 日刊スポーツ新聞社 (2012年3月25日). 2016年6月27日閲覧。
  7. ^ フェテル後味悪い勝利/F1”. 日刊スポーツ新聞社 (2013年3月24日). 2016年6月27日閲覧。
  8. ^ F1第2戦マレーシアGP、レースレポート”. TOPNEWS (2013年3月24日). 2016年11月4日閲覧。
  9. ^ リカルドが今季初勝利、通算4勝目 F1”. 日刊スポーツ新聞社 (2016年10月2日). 2016年11月4日閲覧。
  10. ^ Southeast Asian racing”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  11. ^ a b South-East Asian racing 1976”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  12. ^ Formula Pacific 1978 « South-East Asia”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  13. ^ Formula Pacific « South-East Asia”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  14. ^ GP Malaysia 1962 - Race Results”. Racing Sports Cars. 2024年2月6日閲覧。
  15. ^ a b c d Eli Solomon. “Snakes & Devil's: A History of the Singapore Grand Prix 1961-1973” (PDF) (英語). 2024年2月6日閲覧。
  16. ^ a b c Singapore Fling, Motor Sport, March 2006, pages 72 to 77
  17. ^ GP Malaysia 1963 - Race Results”. Racing Sports Cars. 2024年2月6日閲覧。
  18. ^ GP Malaysia 1964 - Race Results”. Racing Sports Cars. 2024年2月6日閲覧。
  19. ^ GP Malaysia 1965 - Race Results”. Racing Sports Cars. 2024年2月6日閲覧。
  20. ^ Vroom Vroom… Looking Back at the Old Singapore Grand Prix, remembersingapore.org Archived 31 December 2018 at the Wayback Machine. Retrieved 31 December 2018
  21. ^ 1968 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  22. ^ Derek Fulluck, Elfin takes Malaysian GP, Autosport, September 27, 1968.
  23. ^ 1969 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  24. ^ 1970 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  25. ^ 1971 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  26. ^ Batu Tiga, 5 Sep 1971 « SE Asian 1600cc 2-valve formula”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  27. ^ 1972 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  28. ^ Batu Tiga, 9 Apr 1972 « SE Asian 1600cc 2-valve formula”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  29. ^ 1973 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  30. ^ Batu Tiga, 15 Apr 1973 « SE Asian 1600cc 2-valve formula”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  31. ^ 1974 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  32. ^ Batu Tiga, 7 Apr 1974 « SE Asian 1600cc 2-valve formula”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  33. ^ 1975 Malaysian Grand Prix”. 2024年2月6日閲覧。
  34. ^ malaysia/ Batu Tiga, 30 Mar 1975 « SE Asian 1600cc 2-valve formula”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  35. ^ Shah Alam, 24 Apr 1977 « SE Asian 1600cc 4-valve formula”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  36. ^ Shah Alam, 28 May 1978 « SE Asian Formula Pacific”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  37. ^ Shah Alam, 6 May 1979 « SE Asian Formula Pacific”. OldRacingCars.com. 2024年2月6日閲覧。
  38. ^ a b c Malaysian GP”. ChicaneF1. 2021年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月10日閲覧。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マレーシア・グランプリ」の関連用語

マレーシア・グランプリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マレーシア・グランプリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマレーシアグランプリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS