マルディグラ・パレード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/09 10:55 UTC 版)
「ミスティック・クルー・オブ・コムス」の記事における「マルディグラ・パレード」の解説
最初のコムスのパレードは1857年のマルディグラで行われ、年中行事のひとつとなる。コムスをモデルにして、19世紀にニューオーリンズに出現した他の団体もまた「クルー」として知られるようになる。マルディグラの夜のパレードでは、コムスは長い間、ニューオーリンズのカーニバル・シーズンの最後のパレードであった。それは レックスやズールー・ソシアル・エイド&プレジャー・クラブが日中に行うパレードよりも小さく、地味なものだった。 コムスのパレードは、しばしば古代の歴史と神話に関連したあいまいなテーマで知られるようになった。他のニューオーリンズのパレードのテーマが「世界の食」や「ブロードウェイの音楽」であっても、コムスのテーマは「古代中近東の蛇の神」といった具合だった。 1911年、ニューオーリンズ市議会では、マルディグラのクルーを含む社会的な団体が、人種や宗教、性別、性的指向によって差別しないこととひきかえに、市がパレードの許可証とその他の公的な免許証を与えて公認すという法令が通過された。事実上、この法令は、クルーなどの私設社会的集団が、伝統的な秘密主義的コードを捨てて、メンバーの身元を明らかにすることが必要になった。コムスの団体(もうひとつの19世紀のクルー、モーモス(Momus)も同様に)は、会員資格を特定するよりも、むしろパレードから撤退することを選んだ。 後に、2つの連邦裁判所が、これは法令を条件としたグループのプライバシーへの不当な侵入であると宣言し、最高裁判所はこの決定から、ニューオーリンズ市の上告を棄却した。 ミスティック・クルー・オブ・コムスは、現在でもマルディグラの夜に舞踏会を催している。
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