マゼラン以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 20:05 UTC 版)
「マルティン・ベハイム」の記事における「マゼラン以前」の解説
大航海時代には、ポルトガルが様々な海図を買い漁っていることはよく知られており、不正確なものも神話的な怪しげなものも買っていた。したがって、ポルトガル王ジョアン2世と親交のあったマルティン・ベハイムが地図や海図を売っていたことは想像に難くない。中には未知の土地への神秘的経路を描いたものもあったと見られる。このことは、マゼランが西回り航路開拓の探検に出た際の混乱の一因でもある。マゼランの航海に同行したアントニオ・ピガフェッタは、マゼランが部分的な海図を所有しており、陸地が見つかる前からそれを分析していたと記している。ピガフェッタによれば、第2の海図はマゼランの頭の中だけにあり、他人に(特にスペイン人クルーが反乱を起こした際に)水路を見つけられないようにしていた。歴史家は一般に太平洋に抜ける航路の開拓にベハイムの影響があったことを認めていないが、ピガフェッタの日記にはその水路の海図の作者としてベハイムの名が記されていたことは事実である。マゼラン自身の言によれば、かつてマルティン・ベハイムの作成した海図に「南の海」(バルボアがパナマ地峡を横断して発見し、命名した海)に抜ける海峡が描かれているのを見たことがあり、必ず南下していけばその海峡が見つかるとわかっていたという。ピガフェッタは次のように記している。 「しかし、エルナンド(マゼラン)はそれが非常に神秘的な海峡を帆走で抜けられるかという問題だと知っていたし、彼はそれが描かれた地図をポルトガル王室の宝物庫で見たことがあった。その地図はマルティン・ベハイムという優秀な男が作ったものである」 マルティン・ベハイムがマゼラン海峡発見にある種の貢献をしたことは事実かもしれないが、彼は単に別の人間が描いた海図を引き写しただけかもしれない。
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