マスタング初撃墜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 09:58 UTC 版)
1943年(昭和18年)11月25日に一式戦闘機「隼」二型に搭乗している時、日本軍として初めてアメリカ軍のP-51マスタング(陸軍航空軍第311戦闘爆撃機群所属、ハリー・ミルトン(Hally Milton)大佐機、B型またはC型)を撃墜したとされるパイロットである。 この25日の戦闘では、マスタングは長距離飛行のため落下式増槽を投棄せずに、ラングーン上空で高位から訓練教導中の隅野中尉機に攻撃をかけた。それより先にマスタングを発見し、マスタングの上空に出て攻撃ポジションについていた檜中尉ら4機が射撃距離に入ると、隅野機を攻撃中のマスタングに対して奇襲攻撃を加えた。こうして、最初に檜機はマスタングを1機撃墜した。その後更に2機を檜中隊機が撃破した。また逃げたマスタングの内の1機を200km(約25分)ほど追撃した檜中隊の別のロッテの木下准尉機が海上で撃墜。さらに、最初に攻撃を受けた隅野中尉機も一機を海上で撃墜した。こうして檜中隊全体でこの日3機のマスタングを撃墜し、被害はなかった。基地に帰還後に撃墜した敵機が新型のP-51マスタングであることを確認した中尉は、撃墜の喜びよりも「これから大変な事になるぞ」と感じたと言う。その日さらに檜中隊は3機のP-40を撃墜した。翌26日、司令部より「性能の違いを克服してよくやってくれた」と賞賛を受けたが、その時「部下達は連日の戦闘で疲れきっており、気力だけで戦っている。これを混戦の中で次々に失ってゆく」と檜中尉は複雑に感じたと言う。
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