マジック・ジョンソンとの因縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 23:14 UTC 版)
「ラリー・バード」の記事における「マジック・ジョンソンとの因縁」の解説
マジック・ジョンソンと大学時代にNCAA決勝を争って以来、二人のライバル関係は注目を集め続け、それがNBA人気を引き揚げる原動力の一つにもなった。マジック・ジョンソン率いるレイカーズとバードのセルティックスは1980年代に3回NBAファイナルで対決し、レイカーズの優勝2回(1985年と1987年)、セルティックスの優勝1回(1984年)だった。 ラリー・バードとマジック・ジョンソンはしばしば比較され、様々な点での対称性がマスコミによって強調された。正確で頭脳的なバードに対し華やかでエンターテインメント性に富むマジックのプレー、言葉少な目なバードと笑顔を絶やさないマジック。バードはインディアナ州出身の田舎者のイメージで見られることがあり、それに対しマジックは大都市ロサンゼルスのイメージで見られた。両者の人種の違い、そしてセルティックスとレイカーズがそれぞれ東海岸と西海岸の名門チームということもあった。 マスコミが煽ったせいか両者は初め互いに良い印象を持っていなかったようだが、1984年に二人は一緒にCMの撮影を行う機会があり、以降は交友を持つようになる。後年、二人がそれぞれ引退した際には、両者とも互いの引退式に出席している。一方で、世間が自分とマジック・ジョンソンを大の親友同士であるかのように考えることにバードは違和感も覚えると述べている。マジック・ジョンソンはバードに会う度に「ロサンゼルスに来たらうちへ食事に来い」と誘うが、それが実現することはないと知っている、とバードは語っている。
※この「マジック・ジョンソンとの因縁」の解説は、「ラリー・バード」の解説の一部です。
「マジック・ジョンソンとの因縁」を含む「ラリー・バード」の記事については、「ラリー・バード」の概要を参照ください。
- マジック・ジョンソンとの因縁のページへのリンク