マケドニアの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 14:06 UTC 版)
「ペロポネソス戦争」の記事における「マケドニアの台頭」の解説
詳細は「マケドニアの台頭(英語版)」を参照 紀元前357年にテーバイを中心とする同盟市と第二回海上同盟を擁するアテナイの間で同盟市戦争(英語版)が勃発し、紀元前356年にはテーバイを中心とするアンフィクテュオニア評議会(隣保同盟)とフォキスを中心とするアテナイ・スパルタ連合軍の間で第三次神聖戦争(英語版)が起こった。紀元前355年に同盟市戦争は同盟市の勝利におわり、第二回海上同盟は崩壊。紀元前346年に第三次神聖戦争も隣保同盟が勝利し、隣保同盟側に参戦したマケドニア王国のフィリッポス2世は影響力を強めた。紀元前347年にプラトンが死去し、アリストテレスが故郷のマケドニアに帰国してアレクサンドロス3世の家庭教師になったこともこの後の歴史に大きな影響を与えた。紀元前338年のカイロネイアの戦いでマケドニア王国にアテナイ・テーバイ連合軍は敗北し、マケドニアの覇権が成立した。こうしてギリシア世界はマケドニアの支配下に置かれることになったのである(スパルタだけはマケドニア主導のヘラス同盟(コリント同盟)に加わらず、後にアギス3世が反マケドニアの兵を起こすも、紀元前331年のメガロポリスの戦いで敗れた)。紀元前336年にフィリッポス2世が暗殺されると一時的にヘラス同盟は混乱に陥ったが、アレクサンドロスが権力を掌握。紀元前334年にアレクサンドロスは、ペルシア戦争以来のギリシア世界の宿敵ペルシアを倒すためにマケドニア軍を率いて東征に乗り出した(アレキサンダーの東征(英語版))。
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