ポルトガルのイスラム教徒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 19:53 UTC 版)
「メルトラ」の記事における「ポルトガルのイスラム教徒」の解説
711年頃、ヒスパニアはマグレブ出身のムーア人の侵攻を受け、500年近く続くイスラム文明の多大な影響を受けた時代がアレンテージョ地方で始まった。メルトラはイスラム教徒によってマルトゥラー(Martulah)と呼ばれ、川港はアレンテージョ、アルアンダルスと北アフリカの間で行われる農産物と鉱物の交易において重要な経済的役割を担った。 メルトラにはローマ時代からの城壁があった。しかしイスラム教徒は新たな防衛設備をつくり、その後、敵対するイスラム教徒やキリスト教国家からメルトラを防衛するための城を建てた。1031年にコルドバ太守国が滅ぶと、メルトラは独立したタイファとなり、1044年にセビリア王国に征服されるまで存続した。1144年から1150年の間、村はイブン・カシー率いる独立国家の本拠が再び置かれた。カシーは神秘主義者で、南部ポルトガルを統一した軍事指導者であり、ムラービト朝勢力と戦った。しかし地方の独立は、アルモハド朝の侵攻ですぐに終焉を迎えた。メルトラにあるイスラム時代からの最重要の遺跡は、12世紀前半に建てられたモスクである。のちにキリスト教の教会に変えられたが、いまだモスクであった原型の特徴を多く保存している。
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