ポルトガルとの接触
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:51 UTC 版)
「モノモタパ王国」の記事における「ポルトガルとの接触」の解説
1515年にポルトガル人はキルワ島とソファラを破壊し、アフリカ南東部の沿岸地帯の大部分を支配下に置いた。彼らの主な目的はインド交易の支配権を握ることにあったが、ポルトガル人は無意識のうちにモノモタパの従属国とインドの間で高級品を運ぶ役割を持つようになっていた。南東アフリカ探検の草分けであるアントニオ・フェルナンデスは1514年から2度内陸部の探検を行い、この時にモノモタパ王国の領土を訪れたと考えられている。 ポルトガル人が南東アフリカの沿岸部に到達した後、モノモタパ王国は使者を派遣して友好の意思を示し、1540年までにモノモタパ王国とポルトガル人の間に通商関係が成立する。モノモタパの国王はポルトガル人に領内での商業活動を認める一方、彼らの活動を監視して徴税を担う「諸門のキャピタン」を任命した。1525年にモノモタパ王国はソファラを占領し、モザンビーク島に集落を建設する。その一方でポルトガル人はモノモタパ王国の勢力が弱い地域に進出し、多くの市場を開拓した。
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