ホノリウス以後の西ローマ皇帝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:27 UTC 版)
「ホノリウス」の記事における「ホノリウス以後の西ローマ皇帝」の解説
最後の偉大な西ローマ皇帝とも呼ばれるウァレンティニアヌス1世の死後、ほとんどの西ローマ皇帝は実権を失っており、帝国を支えていたのはバウト、アルボガスト、スティリコ、アエティウス、リキメルといった蛮族出身の将軍たちだった。ホノリウスの代には西ローマ皇帝の宮廷は実質的にイタリア半島を支配するのが精一杯の状態であり、以後は蛮族に対して常に劣勢となった。ホノリウスの甥ウァレンティニアヌス3世の代には、439年にアフリカ州がヴァンダル族によって征服された。シチリア島や地中海西岸は、ヴァンダル王ガイセリックの艦船によって掠奪されている。以上の惨状の裏側で、451年に蛮族出身の将軍フラウィウス・アエティウスがフン族の王アッティラに対して大勝利を収め、同じくアエティウスによるガリア南部における西ゴート族に対する武勲(426年、429年、436年)やライン川やドナウ川への侵入者に対する軍功(428年 - 431年)を挙げたが、454年にアエティウスはウァレンティニアヌス3世により殺害され、ウァレンティニアヌス3世もアエティウスの元部下に殺害された。以降の皇帝達の中では、マヨリアヌスやアンテミウスが蛮族に対して攻勢に出たが、最終的には頓挫している。もはや西ローマ帝国にとって西ローマ皇帝は無用の存在となっており、476年のロムルス・アウグストゥスの退位、480年のユリウス・ネポス殺害を経て、西ローマ皇帝は廃止されることになった。
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