ホジュフの村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 10:10 UTC 版)
12世紀、ホジュフ周辺を含むビトムの城主はクラクフの州に属していたが、1179年にカジミェシュ2世によってオポーレ公に与えられた。このころから、ホジュフの歴史は上シロンスク(オポーレ公国領)の歴史とつながっている。 ホジュフの村で最も古い地域は、今日ホジュフ・スタルィ(Chorzów Stary)と呼ばれ、1257年以降エルサレム聖墳墓騎士団に属した。すでにこのとき銀と鉛の鉱石が近くで採掘されており、その後は鉄鉱石も採掘された。16世紀以後の発展に関しては多くの文献がある。 1327年以降、ピャスト朝の公爵によって支配された上シロンスク公領はボヘミアの大君主の地位を受けたが、ボヘミア自体が1490年以後はオーストリアのハプスブルクに、1526年にはポーランドのヤギェウォ朝に属するようになった。 1742年、ホジュフを含む地域はオーストリア継承戦争でプロイセン王国のホーエンツォレルン家によって征服され、以後、ホジュフを含む上シレジアはプロイセンの産業力向上に寄与した。プロシアと、その後のドイツによる統治期間は約180年間続いており、産業革命や急速な工業化の時期に重なっている。
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