ベビーフェイス転向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 07:51 UTC 版)
「ブレット・ハート」の記事における「ベビーフェイス転向」の解説
1988年3月27日、レッスルマニアIVの第1試合で行われたインビテーショナル・バトルロイヤルにおいて、ヒール仲間のバッドニュース・ブラウンに裏切られて優勝を逸したことを機に、ナイドハートと共にベビーフェイスに転向する。以降は人気コンビとして活躍し、ヒットマン・シェードをリングサイドの子供ファンに渡すルーティンも確立。1990年8月27日のサマースラム1990ではデモリッションを下し、2度目のタッグ王座戴冠を果たした。 しかし、1991年3月24日のレッスルマニアVIIにおけるナスティ・ボーイズ戦で王座を流出、それを機にチームを解散し、ブレットはシングルプレーヤーとして活動を開始した。 この間、1990年4月13日に東京ドームで行われた日米レスリングサミットに来日。当時2代目タイガーマスクに変身していた三沢光晴とシングルマッチで戦い、20分時間切れで引き分けている。WWF世界タッグ王座陥落後の1991年3月30日には、当時WWFが業務提携を結んでいたSWSの東京ドーム大会『レッスル・フェストin東京ドーム』にナイドハートとのコンビで出場、マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズのザ・ロッカーズから勝利を収めた。4月1日の神戸ワールド記念ホール大会では、新日本プロレス参戦以来となるジョージ高野とシングルマッチで対戦している。
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