プロロード選手としての実績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/14 10:08 UTC 版)
「スチュアート・オグレディ」の記事における「プロロード選手としての実績」の解説
アトランタオリンピックの1年前となる1995年にガンと契約を結んでプロ選手となり、その後はロードレースにおける活躍ぶりが目覚しくなった。 1998年のツールでは第4 - 6ステージまで総合首位に立った。また2001年のツールでも、第4 - 6、第8 - 9ステージでマイヨ・ジョーヌを身にまとった。この他ツールのポイント賞争いにおいても常に上位に食い込む活躍を見せる。しかしエリック・ツァベルの壁が厚かったこともあり(ツァベルは1996 - 2001年まで6年連続ポイント賞受賞)、ポイント賞獲得には至っていない。とりわけ惜しかったのは2001年のツールで、最終ステージにおいてマイヨ・ベールを身にまとってレースに挑んだが、最後にツァベルに逆転されてしまった。 一方、2008年のシーズンよりUCIプロツアーの対象レースに組み入れられることになったツアー・ダウンアンダーの初代総合優勝者(1999年)であり、2001年にも同レースを優勝している。
※この「プロロード選手としての実績」の解説は、「スチュアート・オグレディ」の解説の一部です。
「プロロード選手としての実績」を含む「スチュアート・オグレディ」の記事については、「スチュアート・オグレディ」の概要を参照ください。
- プロロード選手としての実績のページへのリンク