プログレス電気自動車説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:52 UTC 版)
「日本への自動車の渡来」の記事における「プログレス電気自動車説」の解説
1899年(明治32年)に横浜で三輪のプログレス電気自動車が走っていたという説である。 内山駒之助が目撃談を座談会で語ったり、大日本自動車製造で上司だった石澤愛三に語ったりしている。内山は日本における最初期の自動車技術者(タクリー号の開発者)であり、この説は自動車史研究家の尾崎正久から支持されていた。 この説は言い伝えのみに基づいており裏付けとなる資料はなく、その内山の証言を直接聞いたことのある石澤は内山の話は「横浜で3輪車らしい自動車を見たことがある。それは32年(1899年)ごろであった」という曖昧なものであったと語っている。 『日本自動車工業史稿』第1巻(1965年)では、他の説については検証している一方、この説については扱うことを避けている。この説は可能性としてはあり得るが、確認が特に難しい事例と評価されている。
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