プリマ・バレリーナ・アッソルータ
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「ロイヤル・バレエ学校」の記事における「プリマ・バレリーナ・アッソルータ」の解説
ロイヤル・バレエ学校は、バレリーナの中でも最高位に位置付けられ、ごくわずかな人数しかいないプリマ・バレリーナ・アッソルータを4人輩出している。ロイヤル・バレエ学校で学び、プロとしてのキャリア全体をロイヤル・バレエ団で過ごしたマーゴ・フォンテインは、1979年にエリザベス2世からロイヤル・バレエ団のプリマ・バレリーナ・アッソルータに任じられた。1959年から1966年までロイヤル・バレエ学校で学んだエヴァ・エフドキモワは、世界を股にかけるゲスト・バレリーナとして活躍し、1979年にキーロフ・バレエ団に客演した後、プリマ・バレリーナ・アッソルータの称号を授与された。これは後にドイツ連邦参議院により公式に承認された。1959年にロイヤル・バレエ学校に入学したフィリス・スパイラは、優れた才能が認められて1960年に若干17歳でロイヤル・バレエ団ツーリング・カンパニー(現バーミンガム・ロイヤル・バレエ団)に入団したが、世界ではなく母国 南アフリカの舞台に立つことを選択してほとんどのキャリアを南アフリカのCAPABバレエ団(現ケープタウン・シティ・バレエ団)で過ごし、1984年に同国大統領からプリマ・バレリーナ・アッソルータに任じられた。1992年には、ロイヤル・バレエ学校の卒業生アレッサンドラ・フェリがスカラ座バレエ団のプリマ・バレリーナ・アッソルータに任じられている。ロイヤル・バレエ団の前身であるヴィック・ウェルズ・バレエ団で初代プリマ・バレリーナを務めたアリシア・マルコワは、ロイヤル・バレエ学校で直接学んではいないものの、ロイヤル・バレエ学校を設立したニネット・ド・ヴァロアに師事していたため、これを数に含めるとすれば5人となる。
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