フリードリヒ2世の宮廷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 09:45 UTC 版)
「フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「フリードリヒ2世の宮廷」の解説
フリードリヒ2世は、廷臣たちを率いて各地の城と修道院を転々と移動していた。移動する宮廷はイスラム教徒の兵士に先導され、貴重品と賓客を乗せたラクダの輸送隊がこれに続き、その後をフリードリヒと廷臣が移動していた。この時のフリードリヒは狩人のような服装をし、黒毛の駿馬に乗って移動していたと伝えられる。そしてフリードリヒたちの後には従者、楽団、ルチェーラで養成された踊り子、私設動物園の檻が続いていた。ルチェーラの踊り子たちは教皇派からの非難の対象となり、教皇派は彼女たちを指してハレム(後宮)と呼んだ。イスラーム世界の太守のような生活を送ったことから、同時代人はフリードリヒ2世を「洗礼を受けたスルタン」とも称した。
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