フェデラル・リーグの誕生
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「1913年のメジャーリーグベースボール」の記事における「フェデラル・リーグの誕生」の解説
1913年3月8日、インディアナポリスでフェデラル・リーグが設立された。前年にシカゴのジョン・T・パワーズが設立した『コロンビア・リーグ』が経営不振で、そこでパワーズは翌年に新たに6球団からなるフェデラル・リーグを設立する。この6球団はシカゴ、セントルイス、クリーブランド、インディアナポリス、ピッツバーグ、そしてケンタッキー州カヴィンタン(途中でカンザスシティに変わる)をフランチャイズにして、120試合が行われてこの1913年のシーズンはインディアナポリスを本拠地とするインディアナポリス・フージャーズが優勝した。しかしもともとマイナーリーグとして始めたリーグで、選手も元メジャーリーガー、マイナーリーガー、セミプロで技術水準も低く、観客も集まらず、これに失望した球団経営者らが数名の富豪から資金を集め、リーグ会長にジェームス・A・ギルモアが就任して、フェデラル・リーグをメジャーリーグにすべく様々な手を打ち始めた。その富豪の中には石油で財を成したハリー・F・シンクレア、パン製造会社の成功で財を成したロバート・B・ウオードなどがいて、それら富豪たちから集めた資金50万ドルのうち、29万4000ドルを使って、アメリカン・リーグやナショナル・リーグの選手たちを勧誘し、それらの中にはニューヨーク・ジャイアンツのルーブ・マーカード、ワシントン・セネタースのウォルター・ジョンソン 、フィラデルフィア・アスレチックスのエディ・プランク、シカゴ・カブスの「併殺トリオ」の1人でこの年にシンシナチ・レッズへ移籍したジョー・ティンカー、同じシカゴ・カブスのモーデカイ・ブラウンなどの名前が挙がっていた。また球団経営に興味のある実業家の勧誘も始め、その中にはウイリアム・リグレーがいた。 このリーグがメジャーやマイナーリーグの選手と極秘裏に契約を結び、翌1914年にメジャーリーグとして開幕する。
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