フィル・ラッドの解雇
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1983年、フィル・ラッドのアルコール依存症とドラッグによるパラノイアの症状が深刻化、バンドとの間に亀裂が生じ、既に次作のレコーディングが終了していたにもかかわらず解雇となる。後任はNWOBHM時代に活躍したA II Zなどの活動で知られるサイモン・ライト。そして同年、バンドのセルフ・プロデュースによる『征服者(Flick Of The Switch)』をリリース。このアルバムはそれまでの作品ほどは成功せず、ある批評家からは「同じアルバムを9枚作った」と揶揄され、同年のケラング!読者投票でBiggest Disappointment Of The Year(最も失望した事)の8位に選ばれた。その後、バンドは暫く低迷を続ける事となる。同年E.P.『74' ジェイルブレイク(74' Jailbreak)』をリリース。 1985年、『フライ・オン・ザ・ウォール(Fly On The Wall)』をリリース。プロデュースはヤング兄弟。 1986年、スティーヴン・キング監督映画『地獄のデビルトラック』のサウンドトラック『フー・メイド・フー(Who Made Who)』をリリース。 1988年に『オーストラリアレコード産業協会(ARIA)』のARIA Hall of Fameに選ばれる。
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