フィッツロイ占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「フィッツロイ占領」の解説
フォークランド諸島地上軍(LFFI)司令官のムーア少将は、5月29日に揚陸艦「フィアレス」へ移乗して司令部を開設、30日より全面的な指揮を開始した。 ケント山の占領成功を受けて、イギリス軍地上部隊はそちらに向けて兵力の集中を図ったが、ヘリコプターの不足と酷寒の気候、湿った土地のために、その行軍は困難なものとなった。ちょうどこの頃、本国から増援されてきた第5歩兵旅団がフォークランド諸島に到着し、ヘリコプターはその揚陸のために使われていた。第3コマンドー旅団の各隊は、しばしば地元住民がトラクターで支援してくれたとはいえ、基本的には徒歩行軍により前進せざるをえなかった。 第2空挺大隊は、グース・グリーンを占領したのち、まず6月2日にはその東北東25キロメートルの入植地を攻撃し、同地が無人であったため容易に占領した。ここでフィッツロイの入植地住民との電話連絡に成功し、同地にもアルゼンチン軍が駐屯していないことを知ると、同日午後のうちに、イギリス軍唯一のチヌークを乗っ取って、同地への進出に成功した。この大胆な前進により、来るべきスタンリー攻撃作戦の際の右翼の援護が確保された。しかし悪天候のためにアルゼンチン軍はこの動きを察知できず、大隊は攻撃を受けずに済んだとはいえ、敵中に深く突出し、補給線からも切り離された脆弱な状態となった。
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