フアナ2世 (ナバラ女王)とは? わかりやすく解説

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フアナ2世 (ナバラ女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:04 UTC 版)

フアナ2世
Juana II
ナバラ女王
在位 1328年 - 1349年

出生 1312年1月28日
フランス王国コンフラン=サントノリーヌ
死去 1349年10月6日
フランス王国コンフラン城
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
配偶者 フェリペ3世
子女 一覧参照
家名 カペー家
王朝 カペー朝
父親 フランス王ルイ10世
母親 マルグリット・ド・ブルゴーニュ
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フアナ2世スペイン語Juana II, 1312年1月28日[注釈 1][2] - 1349年10月6日)は、ナバラ王国女王(在位:1328年 - 1349年)。ナバラ王でもあったフランス王ルイ10世(喧嘩王、ナバラ王としてはルイス1世)と最初の王妃マルグリット・ド・ブルゴーニュの長女[2][3]。フランス語名ジャンヌ(Jeanne)。

生涯

1316年にルイ10世が死去し、その死後に誕生した異母弟ジャン1世(遺腹王、ナバラ王としてはフアン1世)も在位数日で夭折した[4]。しかしフアナは本当にルイ10世の王女か疑問があるとされ、サリカ法を根拠に王位から斥けられ、叔父のフィリップ5世(長身王、同フェリペ2世)[4][5]、次いでシャルル4世(端麗王、同カルロス1世)[6]が即位した。

シャルル4世は1328年に死去したが、シャルルからフランス王位を嗣いだヴァロワ家フィリップ6世はナバラ王家の血を引いておらず、フランスとナバラの同君連合は解消された[7]。フアナはフランス王位継承権の放棄、ナバラ王が兼ねていたシャンパーニュ伯の領地(シャンパーニュとブリー)の譲渡と引き換えに、ナバラ王位、アングレーム伯位、モルタン伯(en)位、ロングヴィル伯(en)位を受け取った[8][9][注釈 2]。彼女自身はフランス王位に即くことはなかったものの、子孫のナバラ王エンリケ3世は1589年にフランス王アンリ4世として即位し、フランスとナバラは再び同君連合となる。

フアナ2世は父の従弟に当たる夫フェリペ3世(フィリップ・デヴルー)とともに共同統治を行なった[10]。フェリペはフィリップ3世の三男ルイ・デヴルーの息子としてエヴルー伯領を相続し、夫婦はノルマンディー地方やシャンパーニュ地方といったフランス北部に広い領地を持った。フェリペ3世は1343年に死去[11]、フアナは1349年に黒死病で死去し[10]、ナバラ王位およびエヴルー伯位は息子カルロス2世が継承した。

子女

フアナは1318年6月18日に、エヴルー伯フィリップ・デヴルー(フェリペ3世)と結婚した[6]。フェリペ3世との間には9人の子供が生まれた[12]

  • ジャンヌ(1326年頃 - 1387年) - アラゴン王ペドロ4世との結婚が考えられていたが、修道女となった [13][14]
  • マリー(1329年頃 - 1347年) - アラゴン王ペドロ4世の最初の王妃[14]
  • ルイ(1330年 - 1334年)[14]
  • ブランシュ(1331年 - 1398年) - フランス王フィリップ6世の2番目の王妃[15]
  • シャルル(1332年 - 1387年) - ナバラ王およびエヴルー伯[16][17]
  • アニェス(1334年 - 1396年) - フォワ伯ガストン3世と結婚[18][19]
  • フィリップ(1336年 - 1363年) - ロングヴィル伯、ヨランド・ド・ダンピエールと結婚[20][21]
  • ルイ(1341年 - 1372年) - ボーモン=ル=ロジェ伯、ドゥラッツォ公。マリア・ド・リザラズと結婚、ドゥラッツォ女公ジョヴァンナと結婚[15]
  • ジャンヌ(1342年以降 - 1403年) - ロアン子爵ジャン1世と結婚[20]

注釈

  1. ^ ベルナール・ギーの『年代記の華』には、フアナが1311年に生まれたと記されているが[1]、現代の研究ではフアナの誕生は1312年であるとしている。
  2. ^ ただしアングレーム伯領は後にヴェクサンにあるポントワーズ、ボーモン=シュール=ワーズ(en)およびアスニエール=シュール=ワーズ(Asnière-sur-Oise)と交換され、アングレーム伯領は王の寵臣カルロス・デ・ラ・セルダ(シャルル・ド・ラ・セルダ、シャルル・デスパーニュ)に与えられ、そのことが息子カルロス悪人王によるデ・ラ・セルダの暗殺につながったとも言われる。

出典

  1. ^ Gui 1855, p. 724.
  2. ^ a b Woodacre 2013, p. 51.
  3. ^ Bradbury 2007, p. 278.
  4. ^ a b Bradbury 2007, p. 281.
  5. ^ Woodacre 2013, p. 53.
  6. ^ a b Woodacre 2013, p. 57.
  7. ^ Woodacre 2013, p. 59.
  8. ^ Knecht 2007, p. 2.
  9. ^ Woodacre 2013, pp. 59–60.
  10. ^ a b Woodacre 2013, p. 66.
  11. ^ Woodacre 2013, p. 72.
  12. ^ Woodacre 2013, p. 195.
  13. ^ Garcia 1994.
  14. ^ a b c Woodacre 2013, pp. xx, 68.
  15. ^ a b Woodacre 2013, pp. xx, 70.
  16. ^ The Catholic Encyclopedia. Vol.10. p. 722. https://en.wikisource.org/wiki/Page:Catholic_Encyclopedia,_volume_10.djvu/794 
  17. ^ Woodacre 2013, pp. xx, 74.
  18. ^ Woodacre 2013, pp. xx, 83–84.
  19. ^ Tuchman 1978, p. 344.
  20. ^ a b Woodacre 2013, p. xx.
  21. ^ Tuchman 1978, p. 133.

参考文献




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