ピンク・フロイドのメンバーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/07 18:22 UTC 版)
「ロジャー・ウォーターズ」の記事における「ピンク・フロイドのメンバーとして」の解説
1960年代のデビュー当時のピンク・フロイドは、実質的にシド・バレットのワンマン・バンドだった。しかし、ドラッグ漬けで活動がおぼつかなくなったバレットの脱退(解雇)後、ウォーターズを実質的なリーダーとするバンドとして再出発した。 1970年代以降は主要な曲を書き下ろすなど、バンドの中心的なソングライターとして活躍。自身が全作詞を手掛けたコンセプト・アルバム『狂気』(1973年)の空前の大成功以後は、フロイドの楽曲の歌詞すべてをウォーターズが担当することとなり、作詞家としても存在感を見せる。バンドでは次第にウォーターズの意向が強く反映されるようになり、ついには自身のワンマン・バンド化するに至る。その流れの中で、『ザ・ウォール』(1979年)レコーディング中のリチャード・ライトの解雇や、『ファイナル・カット』(1983年)レコーディング中のギルモアとの激しい口論が起こるなど、フロイドは実質的に空中分解するに至った。
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