ビーイング入り・GARNET CROW結成
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「岡本仁志」の記事における「ビーイング入り・GARNET CROW結成」の解説
大学4年生となった22歳の頃、所属していたバンドの活動が停滞し、就職活動の一環としてビーインググループにデモテープを送り、それが契機となって同グループへ入る。その後音楽活動が表に出てくるのは1999年からである。 そして1999年4月7日、岡本仁として作曲・編曲した「Hypnosis」が、ZARDのCDシングル『MIND GAMES』に収録され発売となった。これが岡本の作品中、最も早く世に出た楽曲といえる。この作品で後のGARNET CROWのアレンジャーの古井弘人と共同編曲しており、この時岡本はまだ卒業前の学生であった。同年8月31日にはZARDの船上ライブ「Cruising & Live」に参加、サイドギターを演奏した(右写真はその会場)。この際、作曲家の大野愛果と出会い、大野によって「おかもっち」という愛称が付けられた。 また、同時期には倉木麻衣が全米デビューに向けて行っていたスタジオ制作にも参加する。この制作を通じて、当時は新人であり後に作曲家・ボーカリストとなる中村由利、作詞家のAZUKI七、先述の古井弘人の3人と意気投合し、古井弘人をリーダーとしてGARNET CROWを結成する。同年12月4日、GARNET CROWのギタリストとしてインディーズデビュー。この時期の活動は多忙であったため、直後に一時入院となる。2000年3月29日に同バンドはメジャーデビューとなる(これ以降のGARNET CROWにおける詳細な活動についてはGARNET CROWのページを参照のこと)。
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