パンテオンでの公開実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:19 UTC 版)
「フーコーの振り子」の記事における「パンテオンでの公開実験」の解説
フランスの大統領であったルイ・ナポレオン(のちに皇帝ナポレオン3世)はパリ天文台でのフーコーの実験を耳にし、パンテオンでの公開実験を命じた。フーコーは、新たに振り子を準備し、錘は真鍮製で28kg、直径38cmの球体のものを作らせた。弦は、パンテオンのホールの天井の高さに合わせて、長さ67mのものを用意した。また錘の下部には鉄筆状のものが取り付けられた。この工夫により、振り子の可動域の端に砂を盛った土手を設け、鉄筆が土手をかすめることで振り子の位置の変位を示すようにした。 1851年3月27日、ルイ・ナポレオンの臨席のもと、パリ市民の前で、パンテオンでの公開実験が行われた。振り子の実験は完璧ではなく、時間経過すると軌道が8の字運動になり振幅も減衰を始めたが、数時間経過すると、目に見えて振動面が変化が観察できた。ルイ・ナポレオンは実験に満足し、1854年にフーコーをパリ天文台付きの物理学者に任命した。 その後、パンテオンでの実験は毎週木曜日に実施された。しかし、1851年12月1日、ルイ・ナポレオンは「パンテオンでの実験をただちに終了し、パンテオンを教会としての役目に戻せ」という大統領令を出し、公開実験は終了した。
※この「パンテオンでの公開実験」の解説は、「フーコーの振り子」の解説の一部です。
「パンテオンでの公開実験」を含む「フーコーの振り子」の記事については、「フーコーの振り子」の概要を参照ください。
- パンテオンでの公開実験のページへのリンク