パレオロゴス家の黎明とは? わかりやすく解説

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パレオロゴス家の黎明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:34 UTC 版)

パレオロゴス王朝」の記事における「パレオロゴス家の黎明」の解説

パレオロゴス家東ローマでも有数名門一つで、既に11世紀アレクシオス1世コムネノス義兄弟としてゲオルギオス・パレオロゴスなる人物知られている。その後コムネノス朝アンゲロス朝との間に姻戚関係を結び、数多くの高級軍人など輩出していた。ゲオルギオス曾孫アレクシオス・パレオロゴスは皇帝アレクシオス3世アンゲロスの娘エイレーネー結婚して専制公叙せられ、同じくアレクシオス3世の娘と結婚した後のニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリスと共に帝位継承候補一人数え上げられていたが若死にしている。 ニカイア帝国時代もその血脈皇帝位近しい存在であり続けたアレクシオスの娘テオドラ・パレオロギナはパレオロゴス家別の一員で、ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス帝の許でテッサロニキ軍政官を務めていた帝国軍総司令官(メガス・ドメスティコス)アンドロニコス・パレオロゴスと結婚し、娘エイレーネーマリア息子ミカエルヨハネス産んだ。彼らは「ディプロパレオロギ」という異名呼ばれたが、これは両親からパレオロゴス家の血をひく者たちという意味である。この長男ミカエルがのちの東ローマ皇帝ミカエル8世パレオロゴスである。

※この「パレオロゴス家の黎明」の解説は、「パレオロゴス王朝」の解説の一部です。
「パレオロゴス家の黎明」を含む「パレオロゴス王朝」の記事については、「パレオロゴス王朝」の概要を参照ください。

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