バン・ジョンソンとジョン・マグロー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:26 UTC 版)
「1902年のメジャーリーグベースボール」の記事における「バン・ジョンソンとジョン・マグロー」の解説
バン・ジョンソンはジョン・マグローにボルチモア・オリオールズのオーナー兼監督兼三塁手として移るように説得し、マグローはセントルイス・カージナルスからボルチモア・オリオールズに参加した。しかしジョンソンは当初からニューヨークへのフランチャイズ進出を考えていた。だがナショナルリーグの反発から、いったんは断念したが、やがてボルチモア・オリオールズのニューヨーク移転を策し始めた。そのボルチモア・オリオールズの監督はジョン・マグローで、この2人は最初からうまくいかなかった。ジョン・マグローは勝負に厳しくまた相手選手の走塁妨害などラフプレーを厭わない監督で、対してアメリカン・リーグ会長のバン・ジョンソンはナショナル・リーグのような規則の無いところでの荒っぽいプレーや喧嘩や騒動の絶えない野球ではなく、厳格なルールの適用と審判の権威の強化を目指していた。やがてボルチモアからニューヨークへの本拠地移転問題で決定的な対立が生まれた。ジョンソン会長はニューヨークへの進出を諦めなかった。これに反抗したマグローは1902年のシーズン半ばにナショナル・リーグに鞍替えし、ニューヨーク・ジャイアンツの監督となった。その1週間後に、ジャイアンツのオーナーはオリオールズの支配権を取得し、オリオールズ選手の大量引抜きを行ったが、この強引な行動に対しアメリカン・リーグ側は即座にオリオールズの支配権を取り戻し、翌1903年にニューヨークへのチーム移転を行った。ボルチモアにはその後セントルイス・ブラウンスが移転し現在のボルチモア・オリオールズとなり、ボルチモアからニューヨークへ移った球団はその後ニューヨーク・ヤンキースとなり、メジャーリーグを代表するチームとして歴史に刻まれていく。
※この「バン・ジョンソンとジョン・マグロー」の解説は、「1902年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「バン・ジョンソンとジョン・マグロー」を含む「1902年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1902年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- バン・ジョンソンとジョン・マグローのページへのリンク