バンブーロッド職人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/10 05:36 UTC 版)
「H.L.レナード」の記事における「バンブーロッド職人として」の解説
技術的知見のみならず、彼の店で学んだ多くの偉大なバンブーロッド職人達の存在により、アーネスト・シュウィーバートは2巻にわたる著書”Trout”の中で、ハイラム・レナードを”近代フライの父”と呼んだ。 1869年、レナードはメイン州バンゴーにて銃器製造を始めた。 1905年の自身の言葉によると、”私の最初の竿はメイン州バンゴーで作った。材料にはアッシュとランスウッドを使った。ロッド製造ビジネスのためではなく、私自身が使うためだった。”友人の勧めを受け、彼はその最初の作品をマサチューセッツ州ボストンのスポーツ用品店ブラッドフォード&アンソニーへ送った。その店の販売員はレナードの竿に見られる職人技に驚き、スプリットケーンの竿を造るに足る素質を持っていることを見抜いた。三角形の断面を持つ竹片を組み合わせた四辺構造の竿を見せられ、これらを造れるかと問われたレナードは”ああ、もっといいものをね、と答えた”という。これに取り掛かるとき、彼は素材の中に強度の弱い個所が生まれることに気づき、より細く削った六本の竹片から成る竿を造ることにした。こうして産まれた”史上初の”六角バンブーロッドは、レナードが供給しきれないほどに大きな需要を生み出した。彼はこの頃にメイン州バンゴーに二部屋の店をオープンした。 はじめの一年は独力で製作したが、一年後に助手を雇った。1881年にニューヨーク州セントラルバレーに移るまでの間に11人を雇い入れた。1899年に彼の工房は現存する場所に移ったが、オリジナルのH.L.Leonardロッドカンパニーは1984年に幕を下ろした。 “私の竿はウィーンやロンドンで、次にフィラデルフィア万国博覧会、そしてフライキャスティングやベイトキャスティングのあらゆるコンテストにおいて名声を獲得した” -ハイラム・ルイス・レナード 1905
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