バンドン要塞の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 07:58 UTC 版)
東海林支隊はジャワ島中部のエレタンに上陸し、直ちに若松満則少佐の第1挺身隊(歩兵1個大隊基幹)と江頭多少佐の第2挺身隊(同)に分かれて進撃を開始した。若松挺身隊の目標はカリヂャチィの飛行場であった。8時に海岸を出発、舗装道路をフルスピードで前進し、11時30分に飛行場へ殺到した。交戦1時間、守備隊はよく抵抗したが、日本軍の6名の決死隊が側面から迂回して飛行場中央の指揮所へ斬り込みをかけこれを占領、日章旗を掲げた。守備隊は撤退した。 3日、蘭印軍はカリヂャチィを奪回すべく、バンドン要塞から戦車と装甲車を連ねて逆襲に転じた。若松挺身隊は、必死の反撃と、飛行場へ進出した第3飛行集団の航空支援により蘭印軍を撃退したものの、平地の飛行場にとどまっていては防御し続けることは困難であると考えられた。バンドン要塞には5万の連合軍があると予想されていたが、若松少佐は、進んでバンドン要塞の一角を奪取し、そこで防御することを考えた。7日2時、若松挺身隊700名はバンドン要塞外郭のレンバンの町に電撃突入し、山頂線の重要陣地を占領した。
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